実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『愛が訪れる時(當愛來的時候)』(張作驥)[C2010-39]

東京フィルメックス11本めは、有楽町朝日ホールで張作驥(チャン・ツォーチ)監督の『愛が訪れる時』(FILMeX紹介ページ)。コンペティション作品。

張作驥はすごく好きな監督なので、今回最も楽しみにしていたもの。前作『お父さん、元気?』[C2009-39]が、テレビ用のオムニバスということもあっていまひとつだったので、期待半分、不安半分だった。結果は、複雑な家庭、成長する主人公、知的障害者、濃密な台湾の空気、水辺の風景など、張作驥印あふれる傑作だった。

まず、複雑でいびつな家族。『きらめきの季節/美麗時光』[C2001-13]では、外省人×客家×本省人というとんでもなく複雑な家族を描いていたが、今回はそれ以前のような本土色の濃い本省人家庭に戻っている(とはいえ、この家に外から入った3人はいずれも金門島出身であり、外省人ということになる)。

ヒロイン來春(李亦捷)の複雑な家族関係は、物語が進むにしたがって少しずつ明らかになるが、まとめると次のとおり。まず、おじいさん(魏仁清)がいて、その娘・雪鳳(呂雪鳳)がこの家の女主人(大媽)。彼女は跡取り娘で、父親が婿を取ることに固執したため好きな人とは結婚できず、黒面(林郁順)が婿養子となった。しかし雪鳳は子供が産めなかったため、妊娠した夫の愛人・子華(何子華)を家に入れ(二媽)、生まれた子供は戸籍上夫婦の正式な子供として育てられる。それが來春と妹・來日(李品儀)。さらに、黒面の自閉症の弟・阿傑(高盟傑)も最近同居しはじめた。そこに來春の弟、すなわち待望の長男が生まれるところからこの映画は始まる。それはつまり、家の存続を最優先として運営されてきたこの家で、來春が跡取りという重要な位置から転落して、不要な存在になるところである。やがて黒面が不治の病に倒れ、最後に來春が自身の子(男の子)を産んで映画は終わる。

この映画が描いているのは、この家のなかに居心地よく収まっているとはいえなかった來春が、自身の妊娠や父親の病気、それに伴う家族関係の変化などを通して、家族を受け入れ、成長していく過程である。それは、家族のほうは不変なままで、來春が一方的に家族を受け入れる、というものではない。彼女も変わっていくけれども、家族のひとりひとりも変わっていくという点が重要だ。大媽が妊娠してしまった來春を助けたり、黒面が真剣に阿傑を受け入れようとしたり、大媽と二媽が連帯しはじめたり。それは、家という呪縛から解放され、この家のなかで抱いてきた葛藤を乗り越える過程でもあり、それが家族の再生へとつながっていく。

だから、この映画は決して「やはり家族の絆は強い」とか「だから家族ってすばらしい」といった抽象的なメッセージを発しているわけではない。これが両親がちゃんとそろった「正常な」三世代同居大家族だったら、そうもいえるかもしれないが、ここで重要なのはこれが「いびつな」家族であることだ。だからこそ、來春と父親のいない子供を受け入れる余地があるのだと思う。この映画に出てくる家庭環境はわたしとは違いすぎて、経験的な共感を感じるところはないが、目の前に提出されたある家族のあり様そのものが、すごく愛おしいものに思える。

知的障害者については、これまで本物(何煌基)を使っていたのが、今回は『きらめきの季節/美麗時光』の高盟傑が演じている。年齢が上がるとともに、どう受け入れるかとかだれが面倒をみるかとか問題も大きくなっていくので、ちゃんと演技で表現できる人が必要だったのだろうか。高盟傑の熱演も見ものだったが、阿基はどうしているだろうか、今回は会えなくて残念だったな、とも思う。

全篇にあふれる濃密な台湾的な空気には、冒頭から画面に釘付けになった。ごみごみした市場の中の海鮮食堂や、ごちゃごちゃした狭い部屋からなる一家の住まい。それらを写すカメラがまたすばらしい。手前の部屋から奥の部屋を写した、壁で画面の一部が隠された奥行きのある構図。多くの場合、その向こうにある窓やドアなどの開口部から、外の空気や光が取り入れられている。さらに、繰り返し登場する水辺の風景が、ごちゃごちゃした濃密な世界からの開放感をもたらしている。

映画の舞台は、西門町のあたりと、淡水河を挟んだ対岸の三重市あたりと思われる。一家が営むレストランは西寧市場にあるのだろうか。來春が子供の父親を探しに行って降りる駅は、『悲情城市[C1989-13]に出てくる大里車站だと思う。宜蘭だと言っていたし、龜山島も見えていた。町の感じもそれっぽい。少しだが金門島も出てきて、風獅爺が紹介されるのがうれしい。

范植偉がゲスト出演しているのもうれしかった。また、黒面と阿傑が同じ部屋で寝ているシーンは『簪』[C1941-19]へのオマージュだろうか。

これはぜひとも一般公開してほしい。ただひとつ残念なのは音楽。つけすぎ、盛り上げすぎ。音楽自体はなかなかよいのだが。

上映後、張作驥監督と出演者の李亦捷、李品儀、高盟傑をゲストにQ&Aが行なわれた。そのレポートはこちら(LINK)。