実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ヘヴンズ ストーリー』(瀬々敬久)[C2010-28]

ユーロスペースでの最終日に、すべり込みで瀬々敬久監督の『ヘヴンズ ストーリー』(公式)を観る。瀬々敬久の映画を観るのははじめてで、この内容は観といたほうがいいかなと思って観た。力作だとは思うけれど、わたしの期待や好みとはちょっと違っていた。

事件の被害者と加害者、あるいは別の事件の被害者と被害者が出会うということは、そんなにあることではない。4時間半という長さは、そのあたりにリアリティをもたせるためのものなのかと想像していた。ところが、実際は4時間半ないと描けないほどの登場人物がいて、それがみんなエキセントリックでふつうじゃない。正直言って、どの人物にもリアリティが感じられなくて共感できず、脇の人物までが複数の人物とつながりあう構成も嘘っぽく感じられた。

物語のなかで、ここがポイントだと思ったのにはずされたところが二箇所あった。まずひとつは、サト(寉岡萌希)とトモキ(長谷川朝晴)が出会うところ。サトがトモキを探し当てたとき、トモキは新しい家族と幸せに暮らしており、事件は過去になっていて、復讐はもういいと思っている。それは極めてまっとうな感情だと思うので、ここで簡単にサトの要請に応じない、という反応がわたしの期待するところだった。最後まで応じないか、応じるにしても、長い逡巡と納得できる理由がほしいかった。しかしトモキは、簡単にというわけではないにしても、なんだかうやむやなままに復讐する側についてしまう。

もうひとつは、ミツオ(忍成修吾)が恭子(山崎ハコ)に、介護のために自分を養子にしたのかと聞くところ。この問題はすごく重要だと思うのだが、それ以上の追及も解決もしないまま、恭子はミツオを救う特別な存在と位置づけられてしまう。わたしには恭子がそんなに特別な人には思われず、この点が追求されなかったので、ミツオがすごく簡単に救われてしまったように思えた。

このあとはこの四人が一堂に会して、被害者が加害者に、復讐する者が復讐される者にとなっていくのだが、これまでの展開にリアリティが感じられなかったため、もはや図式的としか感じられなかった。最後に子供が生まれて希望をつなぐ、というパターンは、わたしの最も嫌うもののひとつ。鳥のCGも受け付けない。

無人の元炭鉱町の、団地の廃墟が並ぶ荒涼とした風景はよかったし、丘の上に高層マンションが建ち並ぶ殺風景さも悪くなかったが、桜や紅葉で季節がめぐるのは、強調されすぎていてあざとい感じがした。