実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『悪魔を見た(악마를 보았다)』(金知雲)[C2010-49]

T・ジョイ出雲で、金知雲(キム・ジウン)監督の『悪魔を見た』(公式)を観る。李炳憲(イ・ビョンホン)が、婚約者を殺した崔岷植(チェ・ミンシク)に復讐するという、ホラーまがいのクライム・サスペンス。血まみれの痛そうな映画なので、本来ならば躊躇するところだが、金知雲は『グッド・バッド・ウィアード』[C2008-28]がおもしろかったし、興味のある監督の新作が田舎で観られるのは貴重なので観ることにする。

はじめに復讐ありきな映画である。スヒョン(イ・ビョンホン)が復讐を決意するのに、くどくどと理由づけしたり、葛藤を描いたりはしない。同様に、ギョンチョル(チェ・ミンシク)が殺人鬼になった理由なども描かれない。彼はただ、強く楽しく殺人鬼である。そのあたりに抵抗を感じる人もいそうだが、わたしに言わせればそこがいい。段取り的な部分は省略を駆使し、ふたりの対決だけが執拗に続けられる。

この映画は、復讐を肯定するものではない。しかし、その虚しさだけを描くものでもない。ギョンチョルとの闘いを通して、スヒョンの心の中には、いくら復讐をしても満たされない、やればやるほど虚しくなる気持ちが積もっていく。それと同時に、相手を痛めつける楽しさ、苦しめる喜びみたいなものにも気づいてしまう。暴力がどんどんエスカレートしてしまうのは、どうやら婚約者の復讐のためばかりではない。思えば人は、凄惨な事件を心底嫌悪しながらも、多かれ少なかれ、連続殺人事件や猟奇事件に興味をそそられ、ワクワクする。暴力を嫌悪するのは、暴力への衝動を抑えるためにあらかじめセットされている抑止力なのだと思う。

実は、スヒョンがすぐに復讐に取りかかれるのも、ギョンチョルを凌ぐ身体能力を発揮するのも、彼が国家情報院捜査官であるからだ。彼はおそらく、特別な訓練を受けているし、職業上、目的のためには容赦ない暴力をふるうことに躊躇しない。これまでにそういう経験も積んでいる。そういった背景が、あえて詳しくは語られず、なんとなく匂わされているのも興味深いと思う。

一対一の対決ではスヒョンのほうが強いのに、ギョンチョルはそう簡単にはくたばってくれない。恐怖に屈するどころか、スヒョンの残忍さが増すにつれて、心身ともに屈強になり、頭も冷静に冴えわたる。そしてそれは家族を巻きこんだ悲劇へと進んでいく。復讐の連鎖は今後も続くかもしれないと思わされる結末は、相当後味が悪いけれど、ラストシーンはすごくよかった。実は、妹は助けるというあたりが落としどころかなと思っていたが、そんなことはなく、ぜんぜん容赦ない映画だった。

残酷描写は、画面にどこまで写されるかがあらかじめわからないので、予防的に目を背けたようなところも含め、よく見ていないシーンがけっこうある。わたしはそのものズバリの痛いシーンが駄目なのだが、直接描かないほうが怖さは増すと思うので、もう少し控えてほしいところである。しかし予想したよりは控えめだった。残虐行為を直接写さないためにふたりのアップが多くなっているが、それはしかたあるまい。血をぽたぽた滴らせるギョンチョルと、涙をぽたぽたこぼすスヒョンの切り返しシーンが印象的だった。怖さの描写では、人が姿を現す前にまずその気配を感じさせるところがよかった。

イ・ビョンホンには特に興味はないが、今回はなかなかよかった。ダウンジャケットやブルゾンのジッパーを顎のところまで引っ張り上げた復讐者のたたずまいや、直接的な台詞や心理描写はほとんどないのに、心の動きが凄惨な暴力シーンの行間から滲み出てくるようなところ。それぞれ泣きかたが異なる、三回くらいある泣きの演技もいい。冒頭、いきなり歌いだしたのはファンサービスだろうか(ファンのおばちゃんたち、来ていないようだけれど)。

チェ・ミンシクは、熱演しているけれど、濃くて、暑苦しくて、たるんでいるので好きではない。できればこの役は、こういう見るからに殺人鬼っぽい、存在感のある人より、もうちょっとシャープで一見ふつうな人にやってほしかった。

ところで、わたしは以前、安聖基(アン・ソンギ)と役所広司は似ていると思っていた。しかしこの映画を観ながら、役所広司チェ・ミンシクに似ていると思った。つまり、アン・ソンギは歳をとっても濃くならないけれど、役所広司はどんどん濃くなっている。そっくりだと思いながらも、アン・ソンギは好きなのに役所広司には全く興味がもてなかったのは、彼の中にあるチェ・ミンシク的要素を無意識に感じていたのかもしれない。