実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『俺たち中国人(我是中國人)』(沈少民)[C2007-49]

40分弱の休憩時間にポレポレ坐(公式)で晩ごはんを食べ、ふたたび中国インディペンデント映画祭2009で、沈少民(シェン・シャオミン)監督の『俺たち中国人』を観る。鄢龍江省鄢河市遜克縣宏疆村(↓)に住むロシア系中国人たちを描いたドキュメンタリー。

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主な登場人物はロシア系三世で、四十代から五十代くらいの、文化大革命の記憶がある世代。彼らの祖母が第一次世界大戦中にロシアから逃げてきたロシア人で、祖父が中国人。両親の世代からは、現地の中国人とではなく、ロシア系社会内の混血どうしで結婚しているようだ。中ソの関係悪化から文化大革命にかけて差別や迫害を受け、今なお現地社会には受け入れられていないが、彼らは中国生まれであり、自身を中国人と考えている。中国東北部でロシア人はそれほど珍しくもないように思われるが、辺境の小さな村に大量の異民族が入り込んだというケースは、哈爾濱のような都会とはかなり異なる事情があるのだろう。

ドキュメンタリーというと、内容は興味深いけれど映画としてはどうかと思われるものも多いが、これはきっちりと独自のスタイルをもった映画。ロシア系中国人たちが何かしているところを、近いところから長回しでひたすら撮っている。説明はほとんどないので、彼らが何をしているのかとか、やっていることの意味みたいなものが不明なシーンもある。彼らのことをわかりやすく伝えるというのではなく、被写体として選ばれたひとりひとりをナマのままで魅せる、という感じ。みんなめちゃくちゃワイルドで個性的。

被写体のすごく近くにいるにもかかわらず、撮っている側の存在は全く見えない。だから、見せられているものが、まず彼らがそのようなことをやっていてそれを撮ったものか、こういうことをしてくださいと頼んで撮ったものなのか、あるいは隠し撮りのようなこともしているのか、そのあたりは全くわからず、フィクションとドキュメンタリーの境界は曖昧である。たとえば、ロシア系のじいさんが「お金がない、1元くれ」といったことをつぶやき続けていて、近くにいる漢人女性がひたすらそれを無視している様子などが写されていて、それはありふれた日常の一コマのように映るけれど、実際どのように撮ったものなのだろうか。

自分自身のことなどを語っているシーンもあるけれど、一方的に話していて、インタビューという形式にはなっていない。終盤、多数の人が、文革のこと、差別のこと、結婚のことなどを本音で語るシーンは、映像はなく真っ暗なスクリーンに人々の声だけが響いており、そのあとにこの村のロシア系中国人の集合写真が映し出されてなかなか斬新である。

全体として描かれているのは、複数の文化的背景をもつ彼らの豊かさと、それを容易に受け入れない社会のなかで生きる苦悩である。中国風の神様や中国風の音楽などに馴染んでいる様子が描かれる一方、ロシア文化に対する興味も描かれる。ロシア語は話せないので、ロシア国歌(↓)や『モスコーの夜は更けて』を中国語で歌う。『モスコーの夜は更けて(モスクワ郊外の夕べ)』はふつうの中国語ヴァージョンだが、ロシア国歌のほうは「大根4本、切って切って♪」とかいうヘンな歌詞。これはおそらく、ロシア語の音を再現するような歌詞を中国語でつけたものではないかと想像するが、真偽のほどは不明である。犬の調教シーン(犬を二本足で立たせようとしていて、すごくかわいいけれどちょっと虐待っぽい)でも、犬に「ズドラーストヴィーチェ」とか教えている。

テレビ番組も有効に使われている。鼻は金運などを表すので大きいほうがいいと語る番組を複雑な表情で見ているところ。フランスでの移民暴動に関連した解説番組のようなもので、ヨーロッパは一見異文化に寛容なように見えるが、実は「我々の進んだ文化と彼らの遅れた文化」とみなしていて容易には受け入れないと語っているもの。タイで脱北者が拘束されたニュース。それぞれが彼らの状況といろんな意味でリンクしていて興味深い。

この映画の上映中もとっても寒かった。あと数回来る予定だけど憂鬱だ。最高気温は無視して厚着してくることにしよう。