バンガロールに来ちゃったの

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『牛乳先生(一只花奶牛)』(楊瑾)[C2004-47]

午後から出京して東中野へ。今日もポレポレ東中野(公式)の中国インディペンデント映画祭2009(公式)。一本めは、楊瑾(ヤン・ジン)監督の『牛乳先生』。

政治や行政から見捨てられたような貧しい村で、奮闘する若い教師や村長を描いたもの。基本的にはほのぼのとした雰囲気で進むが、葬式で始まり、葬式で終わる映画である。冒頭、父親を亡くした男性がまだ高校生の少年で、しかも父親の死因は買血によって感染したエイズと聞かされ、いきなりブラックな雰囲気。村の出世頭である少年は、伯父である村長の援助で大学まで行く予定だったが、村で唯一の先生が倒れたため、中退して村の小学校の教師になる。

明らかに国や地方政府が引き受けるべき問題をすべて末端の村が抱え込まされている現状を、この映画は描いているのだが、声高に問題を糾弾したりはしない。何か起きるたびに、村長や先生が何度も何度も鎮政府に陳情に行っては財政難を理由に断られるさまを、淡々と綴っていくだけである。そのあいだに鎮政府は、ちゃっかり立派な新庁舎を建てていたりする。

何を陳情しても断られるのだが、たった一度だけ問題を解決してもらえたことがある。それが邦題にも関係するのだが、先生に給料を払うように頼みに行って、給料の代わりに、寄贈されてもてあましていた乳牛をくれるのだ。「そんなバカな」と思うのだけれど、なぜか村長も先生もこの解決策に大満足。それで学校で牛を飼い、牛乳を売る日々がはじまる。

主人公の先生はちょっといい子すぎ。町で再会した中学の同級生は食堂を開き、嫁ももらって順調な生活をしているし、高校の同級生は大学に進学している。自分はこんなところでこんなことをしていていいのか…と思ってもいるみたいだが、村長に「おまえも大学に行けたのにな」と言われると、「いいよ、先生も楽しいし」とか「牛もけっこう稼いでくれますしね」とか、いい子な答えをしてしまう。牛乳を売った稼ぎは自分の給料なのに、そのお金で学校の机や教科書を買ってしまう。たった一人の先生だから、勉強だけ教えていればいいわけでなく、いろんな雑事も降りかかってくる。生理になった女の子の面倒までみなければならないが、「体を冷やさないように」とか、高校生なのによく知ってるな。

ちなみに上述の中学の同級生は小太りである。たまたま入った食堂が彼の店だったことで再会し、嫁まで紹介される。「もしかしてこのあとホン・サンス的展開になるのでは」と、思わずドキドキした(もちろんそんなことにはならなかったけれど)。

俳優はみな素人と思われ、先生をはじめとしてちょっと微妙なニュアンスといったものに欠けるが、村長などはなかなかいい味を出している。先生に憧れてかいがいしく世話を焼き、元カノと思しき女性が訪ねてくると「ライバル出現」とばかりに川の水を飲ませたりするものの、結局家計のために町へ働きに行ってしまう最年長の女の子もいい。

学校に寝泊まりしている先生は、時々実家に帰って、一人暮らしのおばあちゃんに近況報告をする。このときカメラは、奥の部屋にいるらしいおばあちゃんに向かって話しかける先生を後ろからとらえ、おばあちゃんの姿が画面に写ることは一度もない。そのおばあちゃんがはじめて画面に姿を見せるとき、それまでほとんど動かなかったカメラがパンして、はじめて村の全貌を見せる。山の斜面に段々畑が貼りついているような村だ。

これを契機に、主人公の教師としての村の生活は終わりを告げ、これまでなんとか村を成り立たせていた共同体も崩壊する。このときまでに校舎も牛も失っていた先生は、たったひとりの家族であるおばあちゃんすら失って、映画は終わる。

しかし、最後におばあちゃんが先生に語る、「おまえはまだやれるよ」「まだ若いんだし、これからなんだし」という言葉が予言のように響いて、暗い終わりかたにはなっていない。同時に、若者が自力でがんばるだけでいいのかと、訴えてもいるのだろう。

全体にちょっと彩度を抑えたような色合いで撮られていて、特に靄に霞んだ緑濃い山道や、学校の庭の木漏れ陽が美しい。

ところで、ポレポレ東中野は寒すぎる。休憩時間だけしか暖房していないのではなかろうか。足下から冷気が上がってきて、後半は映画に集中するのが困難だった。