バンガロールに来ちゃったの

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『山猫(Il Gattopardo)』(Giuseppe Tomasi di Lampedusa)

ランペドゥーサの『山猫』読了。

山猫 (岩波文庫)

山猫 (岩波文庫)

リソルジメントの時期のシチリアを背景に、貴族階級の没落を主人公、ドン・ファブリーツィオ(サリーナ公爵)の老いに重ねて描いた小説。言うまでもなく、ルキノ・ヴィスコンティの映画『山猫』[C1963-10]の原作である。

この小説は、1860〜1862年が中心で、全8章のうちの6章を占めているが、その後の1883年の公爵の死、さらに1910年のサリーナ家までが描かれている、かなり長い小説である。物語は、革命に統一、さらに甥の結婚と、いろんなことが起こりそうな予感を漂わせて始まるけれど、途中でふと気づくと、実はほとんど何も起こっていない。背景に変化のきざしをはらみながらも、貴族の日常が描かれているだけだ。公爵の老いも社会の変化も貴族の没落も、長い年月をかけて少しずつやってくる。読み終わって、その年月の長さを表現するのには、これだけの長さが必要だったのだと納得する。

印象的なのは、シチリアという土地の特異性である。シチリアがいかに不毛な土地であるか、シチリア人気質がいかにして形成されたか、といったことをドン・ファブリーツィオが考えたり語ったりしていて、この小説にとってシチリアという土地の固有性がいかに不可欠であるかということがよくわかる。同時に、たとえばナポリに住んで領地は顧みないというのではなく、シチリアという土地に根づいたドン・ファブリーツィオの生き方も印象に残る。

イタリア近代史とシチリア史を勉強しなければと思うが、この本の「訳者あとがき」は、小説の舞台となっている場所の地図から、背景となるイタリア史の概略まで、親切かつ便利な情報が付されていてたいへんありがたい。

『山猫』といえば、須賀敦子の『ミラノ 霧の風景』(『須賀敦子全集 第1巻』所収)に、この本が発売されたときのことが、次のように書かれている。

死に絶えた、と当時多くの人が考えたがっていた一九世紀風のていねいな語りの技法を用いて、自然主義的な描写に亡びゆくものの美しさを巧妙にからませて作られたこの本が、一九五八年のある日、本屋の店先に並んだとたん、大方の編集者たちの予想を裏切って、飛ぶような売れゆきをみせた。それは、小説の死を連呼していた批評家たちを驚かせ、ヌーヴォー・ロマンの定着を不本意ながら覚悟していた出版界をゆさぶる大事件だった。この作品がまだ手稿のかたちで編集者たちのあいだを廻っていたとき、断固としてこれを出版することを拒んだのが、当時モンダドーリ出版社の編集部長をしていたヴィットリーニだった。いまどきこんなものが売れるか、と彼は猛然と反対したという。(p. 151)

須賀敦子自身も、この小説を「あたらしい試みを冒頭から拒否した、丹念な描写が印象的ではあるが、究極的には伝統の枠を一歩も出ていない」(p. 151)と評している。