実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『低開発の記憶 - メモリアス』(Tomás Gutiérrez Alea)[C1968-38]

昼ごはんを食べてひと息ついたあと、ふたたびチケぴへキューバ映画祭の前売りを買いに行ったが、「9月30日までで販売終了しています」と言われる。今日はつくづくチケット運に見放されているらしい。疲労を引きずったまま渋谷へ移動。ユーロスペースキューバ映画祭で、当日料金を払ってトマス・グティエレス・アレア監督の『低開発の記憶 - メモリアス』を観る。公開時はレイトショーで観られず、DVDを買ったけれどスクリーンで観たいからまだ観ていなかった。

低開発の記憶-メモリアス- [DVD]

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舞台は、キューバ危機のころのハバナ。主人公は、小説を書きたいと思っている、ブルジョアのインテリ男、セルヒオ(セルヒオ・コリエリ)。家族や友人が次々にアメリカへ出国するなか、出国するでもなく、新キューバに積極的にコミットするでもなく、過去の女性関係などを振り返りつつ、新たな女の子を追いかけまわしたりするさまを描く。

革命の熱気とか、キューバ人のラテン的な熱さとか、ハバナの街のカラフルなイメージとかを一切感じさせないクールなモノクロ映像が印象的。どちらにも進めないインテリという意味では『太白山脈[C1994-69]の安聖基(アン・ソンギ)を連想させるが、セルヒオは安聖基みたいに苦悩したりしない。キューバという国やキューバ人を「低開発」という言葉で表すところは、シチリア人気質について語る『山猫』[B1348]のドン・ファブリーツィオを思い出させるが、ドン・ファブリーツィオが自分自身もその一部と考えていたのとは違って、セルヒオはどこか上から目線である。

しかしインテリであるということは、キューバの体制の限界も見えてしまうし、だからといってアメリカへ行けば幸せになれるとも思えないし、そんなに単純に人民や民衆と同化もできない。セルヒオのように世の中をナナメに見ながらフラフラするしかない。だから彼の立場やありかたには、非常に共感できるものがある。

セルヒオが口説く女の子、エレナ(デイジーグラナドス)は、最初はものすごく魅力的なのに、彼が興味を失っていくのに比例してどんどん魅力を失っていくのが興味深かった。

セルヒオは、最初に登場したときから誰かに似ていると思ったが、誰だか思い出せなくてずっとキモチ悪かった。観終わってからわかったが、ジョン・マルコヴィッチだった。セルヒオに好感をもったのは、思い出せなくてもマルコヴィッチが潜在意識に働きかけていたせいかもしれない。