実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『その場所に女ありて』(鈴木英夫)[C1962-41]

遅めに出京して神保町へ。日曜日の神保町は閑散としていて開いているお店もあまりなく、少ない選択肢の中からロシア料理店で昼ごはんを食べる。一人で車を修理に持って行ったJ先生は、間に合うの間に合わないのと大騒ぎしたあげく、ちゃんとごはんも食べてやって来た。

神保町シアターの今度の特集は「東宝芸映画の世界」。いくつか気になる映画はあるが、ソソられない監督なのでパスして、今日はじめて鈴木英夫監督の『その場所に女ありて』を観に来た。これはどこかで見逃してからずっと観たいと思っていたものだが、原作もないのに何故に文芸映画? 鈴木英夫監督が近年再評価されているためか、この映画館にしては比較的若いお客さんが多い。

なにげにかっこいいタイトルバックから期待をそそる『その場所に女ありて』は、シャープな雰囲気でなかなかおもしろかった。当時の銀座の風景も興味深い(外景になるたびに身を乗り出すJ先生)。サラリーマンものでもこういうのならいいのに。

主演の司葉子が、お洋服もとっかえひっかえしてたいへん美しい。司葉子の美しさが際立つ映画といえば『秋日和[C1960-05]。お嬢さんとキャリアウーマンではキャラクターはかなり異なるが、いつもアップにしている髪を、キメのところで下ろして現れるというところも同じ。『秋日和』からの2年間で甘さがとれてオトナになったぶん、クールなヒロインをかっこよく演じている。

司葉子は広告代理店の営業職で、自立意識が強く、男に入れあげる女が大嫌い。途中、宝田明によろめくものの、最後まで凛としたところを失わない。でも、せっかく意味ありげにネックレスをはずしたりするのに、酔いつぶれるという展開はちょっと引っかかる。27歳にもなって、好きな男と飲んで酔いつぶれるというのは反則ではないか。でもここは、千鳥足で歩く司葉子とか、ホテルの椅子で眠りこけている司葉子の足とかを執拗に撮るのが目的だったに違いないので(そしてその目的は十分達成されている)、文句を言ってもしかたがない。

香港映画みたいに煙草を吸って、酒に麻雀に男言葉というのは、リアルなものなのか、それとも監督や脚本家が頭の中で考えたものなのかもちょっと気になる。男と対等な女のステレオタイプという感じがして。司葉子はクリエイターではなく営業職で、あまり仕事らしい仕事をしているように見えないので、どのへんが有能なのかいまひとつわからない点も惜しい。彼女は女の武器は使っていないつもりだけれど、自分の美しさは十分意識している。結局「きれいな人っていつまでも得ね」ということではないのか。しかしコンペになれば結果は作品の良し悪しで決まってしまうので(まさかタカラダがいい男だったから(社長ゲイ疑惑)ではないよね)、なんとなく空しく感じられる。

宝田明上原謙と同様、年をとるにつれて甘さがなくなって魅力が減るタイプだが、山崎努藤竜也と同様、若いころはチンピラ同然なのに年をとると渋くなるタイプ(好みじゃないけど)。宝田明山崎努を見ながらそんなことを考える。芦川いづみはそこまで見越していたのかどうなのか。ところで、黎明(レオン・ライ)が腐ったような男が児玉清だとは気づかなかった。

鈴木英夫監督の映画を観るのは実ははじめてだが(うそ。『くちづけ』[C1955-10]観てました。うちでなら『殉愛』も(これはいただけない)。【2009-3-12追記】)、やっぱり『殺人容疑者』も観たいなあ(今の時点では行く気です)。『悲情城市[C1989-13](というかその誤表記)と時々見間違える『非情都市』も観たい。