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『ウェブ社会をどう生きるか』(西垣通)[B1229]

『ウェブ社会をどう生きるか』読了。

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

タイトルのあまりのベタさに、買おうとしてやめる、というのを3回くらい繰り返した。別に「どう生きるか」困っていないのだが、アンチ「ウェブ礼賛論」だというので、どんなことが書いてあるのか興味があった。とはいえ、『ウェブ進化論』『ウェブ人間論』『フューチャリスト宣言』といった、この本が批判している「ウェブ礼賛論」の本は全く読んでいないので、それらの批判になっているのかどうかは判断できない。私自身の立場をいえば、Web2.0に期待するところはそれなりにあり、一方でそれほど楽観的でもない。現状のWebとWeb2.0として語られることとの間の大きなギャップも感じている。

全体として言いたいことはまあわからんでもないが、個別的なところでは引っかかりまくりな本だった。以下、そのいくつかを断片的に記す。

  • ウェブ礼賛論批判と、Google批判と、Web2.0否定がごちゃまぜになっているという印象を受けた。Web2.0に関しては、半分ぐらいは一般に言われていることと重なるが、半分ぐらいは誤解または曲解しているように思われる。気になったのは、やたらと検索エンジンが出てくることと、集合知が短絡的にとらえられているようにみえること。たとえば次のような文。


     世の中の知識をたちまち検索できる、ウェブ2・0というすばらしい技術が出現した、それにもとづいて一般ユーザーがウェブ上で自分の意見を積極的に発表し交換しあい、集合知ユートピアができるはずだ、というのが粗っぽくいえば「ウェブ礼賛論」です。…(p. 11)
    「粗っぽくいえば」って、粗っぽくすぎないか? ページランクが一種の集合知であると言われることはあるが、ふつうWeb2.0に検索は出てこない(このあたりGoogle批判と一緒くたになっていると感じる)。また、Web2.0を取り上げているにもかかわらず、RSSもタグもフォークソノミーソーシャルブックマークも出てこないことに強い違和感をもった。

  • 著者はWebに対して、何か過剰な期待をしているのだろうか。Webで検索した情報断片から体系的な知を構築したり、検索した情報を状況に応じて理解し、自分にとって有用な情報にしたりすることは、少なくとも現時点ではWebの外で人間がやるべきことだ。検索エンジンはユーザにとっての重要度を判断できないからこそ、タグやフォークソノミーソーシャルブックマークが注目されているのではないのか。

  • フローとストックは相補的なものであり、どちらが重要というものではない。でも、アイデア創出にはフロー的な断片情報が役に立つと思う。しかし著者は、

     けれども、逆に言うと、検索サイトの情報から基本的な文章のアイデアを得られたことはない、というのも事実です。……(p. 6)
    とまで言っている(おどろきですねえ)。もっとも「文章のアイデア」という限定付きだし、アイデアを得るのは検索して見つけたサイトの情報からであって、私も「検索サイトの情報」からアイデアを得たことはないけれども。これまでストックばかりが重視され、あまりにもフローが軽視されてきたと思うのだが(これでやっと普通になってきたの)、著者は次のように書いている。

     むしろ、現在のウェブの状況は、過去の発言のストックなどすぐ忘れられてしまい、現時点でのフローのみが影響力をもつ、という感じがします。……(p. 74)
    少なくともブログについては、RSSで現時点のフローを得て、検索エンジンで過去のストックを得るというふうに、うまく回り始めていると感じられるのだが。

  • 結論がずれている。著者が提案している地域SNS団塊の世代の活用は、それはそれでいい。だけど私は、知りたいことがあるからWebを検索し、言いたいことがあるから情報を発信している。その場は地域SNSではダメだし、読んでもらうべき未知の人に情報を届けるには、公開して検索エンジンに拾ってもらうことが必要だ。それに私は団塊の世代じゃない。