実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『パッチギ!LOVE & PEACE』(井筒和幸)[C2007-01]

渋谷へ移動して、渋谷アミューズCQN井筒和幸監督の『パッチギ!LOVE & PEACE』(公式/映画生活/goo映画)を観る。前の席の人が笑っちゃうほどお行儀が悪く、だけど恐そうな人だったので、J先生が怒ってイチャモンをつけたり椅子を蹴っ飛ばしたり頭を叩いたりして、あとでパッチギ食らわされたらどうしようと気が気でなかった。

パッチギ![C2004-23]から6年後の1974年という設定で、舞台は東京に移っている。70年代風ファッションのみならず、国鉄のスト権奪還闘争(スト権ストは1975年だったんですね)、佐藤栄作ノーベル平和賞受賞、李小龍(ブルース・リー)ブーム(あんな看板が本当にあったの?)、ゲイラカイト、地方から上京した勤労青年、戦争賛美の大作映画製作といった当時の世情や風俗が反映されている。さらに、白血病筋ジストロフィー、孤児院で育った青年など、70年代に数多く製作された映画やドラマを彷彿させる設定である。こういった設定にはリアリティがないが、70年代っぽさを狙ってわざとそうしているのだろう。タイトルの「LOVE & PEACE」も、その意味するところ以上に70年代っぽさを表すためのものだと思う。

このように、70年代という舞台設定が徹底されることは、かえって現在との相似を浮き彫りにし、この物語の現代性を際立たせてもいる。戦争賛美の大作映画の製作や、外国人や在日を排斥する偏狭なナショナリズム、あるいは難病ものの感動映画・ドラマの流行など、現在と70年代が似ていることにあらためて気づかされる。

本作では、日本の植民地統治下に生きた父親の世代のエピソードが加わっている。日本が植民地をもつようになり、「日本」「日本人」「日本語」といった概念は大きく揺らいだし、その時々によって都合よく解釈されてきた。その一端がこのエピソードからもうかがえる。戦後植民地を手放したあとも、内部に多くの在日などを抱え、また移住や外国との行き来が盛んになるなかで、やはり「日本」「日本人」「日本語」といった概念は揺らぎ続けていると思う。戦争映画『太平洋のサムライ』の試写会のシーンで、スタッフ・キャストの舞台挨拶と、映画のシーンと、キョンジャ(中村ゆり)の父親の逃避行のエピソードとが重なっていくところは、あらためて「日本とは何か」「日本人とは何か」を問いかけている。

また、今回、舞台が東京に移ったことと東北出身の青年(藤井隆)の登場とによって、日本語の共通語/京都弁/東北弁/韓国朝鮮語/これらのチャンポンなど、使われている言語もさらに多重化されている。これらは、「日本とは何か」「日本人とは何か」「日本語とは何か」ということに対する深い考察がないままに、やたらと「ニッポン」とか「ニッポン人」とか「日本語」とかいった言葉が空虚に撒き散らされている現状を揶揄するものでもあると感じた。

リアリティの欠如やメッセージ性など、一般的な私の好みから外れる面もあるが、全体としては楽しめる映画になっていた。試写会でのキョンジャの挨拶は、(内容的には100%賛同するけれども)メッセージが露骨に出すぎている感じもする。しかしながら、これによって描きたかったのは、内容的なメッセージ自体よりも、あのような行動をとることで自分の納得できる生き方を選び取るということであり、それによって一種のハッピーエンドにしたかったのだろうという気がする。

ところで、そんなに似ているわけではないのに、アンソン役の井坂俊哉劉徳華(アンディ・ラウ)を彷彿させ、「劉徳華だ、劉徳華だ」と思いながら観た(別にファンではないけれど)。

とんきでひれかつを食べて帰る。「今日は久しぶりのとんき」と思って朝からウキウキしていたが、よく考えてみたら2週間前に来ていた。待ち椅子で隣にいたおばあさんが、「まだ待つのか」とか「顔を憶えていないんじゃないか」とか、順番が来るまでずっとぶつぶつ文句を言っていて、隣のおじいさんが「入った以上は黙って待ってなさい」と言い続けていたのがおもしろかった。