実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『大陸の細道』(木山捷平)[B1174]

『大陸の細道』読了。この続編が『長春五馬路』(ISBN:4061984373)らしいので、逆順に読んでしまったことになる。

大陸の細道 (講談社文芸文庫)

大陸の細道 (講談社文芸文庫)

戦争末期になって新京へやってきた主人公の寒くて痛くて馬鹿らしい日々を、『長春五馬路』と同様、ユーモアを交えて飄々と綴った小説。主人公の木川正介は、遅れてきた人という印象を受ける。終盤に挿入されている数年前の北支・満洲旅行談では、もう少し前であれば満鉄がすべて面倒をみてくれたはずが、鉄道のパス以外何の補助も受けられず、金策に奔走する様子が描かれる。某公社の嘱託として新京に来ても、もはや特別いい暮らしができるわけでもない(もっとも、仕事もせずに給料がもらえるのだから羨ましいかぎりだ)。挙句の果てに、終戦まであと数日というときになって召集令状が来てしまう。白紙であることに望みを託すが、用紙が不足だったせいだろうと言われ、持病を訴えても、事態がやむを得ないので具合の悪いものも働いてもらう、と言われる。しかもその「働き」というのが、爆弾をもってソ連の戦車にぶつかるというアホらしい特攻隊である。大陸の細道は、先へ行くほどどんどん細くなっていくが、独特の語りによって、ほとんど悲壮感は感じられない。その細道をやっと生き延びると、今度は馬路、つまり大通りになるのがおもしろい。

正介は軍隊や軍人が大嫌いで、その馬鹿らしさをいつも客観的に観察している。ソ連が参戦して無事に日本に帰れる望みがなくなってきたので、妻に遺書めいた手紙を書くが、そこには子供を絶対に士官学校へ入れたり官僚にしたりするな、と書かれている。書き終わったところに召集令状が来て、検閲を考慮して「小生に逢いたかったら、ヤス国神社に来れ」と書き加えて出す。しかし本当は靖国神社へなど行きたくないので、妻が本当に行ったら困ると思い、訂正の葉書を書こうとするのもおもしろい。

主人公は、のらくらしているようでいて言いたいことはしっかり言い、義務を免れ、酒や暖かい部屋を得るなど、けっこうしたたかである。自分自身をも少し離れたところから客観的に見ているような生き方は、悲惨な状況でもそれなりに楽しいように見える。解説などにも私小説と書かれているので、木山捷平満洲体験もこんなだったのかと単純に思い込んでしまいそうになる。ところが、本編のあとに奥さんが書いている読者への言葉では、意志だけで生きているという状態で帰国し、新京のことは「難民生活の一年は百年を生きた苦しみに相当する」としか言わなかった、とある。しかもこの『大陸の細道』は、15年もの年月をかけて書かれている。それほどまでに作家を追い詰めたものは、寒さや飢えや病気といった肉体的苦痛なのか、それとも精神的なものなのか。寒さと痛さは私の何より嫌いなものだが、そういったものは通り過ぎてしまえば語れるような気がする。肉体的苦痛に対する恐怖なのかもっと別のものなのか、やはり精神的なものかと思うが、いずれにしても作品とのギャップに考え込んでしまう。