『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』読了。
- 作者: 林芙美子,立松和平
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/06/14
- メディア: 文庫
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収録されている紀行文は、地理的な順序にしたがって並べられているように見える(でも樺太のあたりが変)。しかしここはやはり年代順にしてほしい。旅での体験、およびそれについての記述は、常に過去の旅の体験のうえに成り立っているものだし、各紀行文の中で過去の旅が参照されていること自体も少なくない。場所順というのもおもしろいことはおもしろいが、それなら地図をつけていつどこに行ったかわかるようにするなどの工夫がほしい。
また、紀行文を読む場合、時代背景が非常に重要なので、各紀行文に訪問年月日をつけてほしい。また、各紀行文がどこで発表するために書かれたものかを明記してほしかった。これらの紀行文は、『どくろ杯』三部作や『深夜特急』のような気合の入った作品というわけではなく、新聞や雑誌のために気軽に書かれたものが多いと思われる。文体もさまざまだが、「ですます」調の平易なものが多く、日記風のものや手紙風のものもある。これらが本当の日記や手紙なのか、あるいはそういう文体で書かれたエッセイなのか、またどういう読者層をターゲットに書かれたものなのかがわからないので、読んでいて欲求不満がつのる。
このように紀行集としては不満があるが、個々の紀行文はおもしろかった。読みにくい文体の本を続けて読んだあとなので、読みやすい文体なのがうれしかった。ものの値段がたくさん書いてあるのもいい。全体として、どこでもよく歩いていること、北京やハルピンを気に入っていること、方々で映画を観ていることなどが好印象。
やはり中国や、日本の統治下にあったサハリンへの旅が興味深い。また、『女三人のシベリア鉄道』(id:xiaogang:20090515#p1参照)に引用されていた『西比利亜の旅』、『巴里まで晴天』、『下駄で歩いた巴里』などをまとめて読むことができ、あらためてシベリア鉄道の旅を追うことができておもしろかった。
以下、注目したところ。
…北京で食べた支那料理の美味しさは舌が気絶しそうだと云っても過言ではないだろう。(『北京紀行』p. 17)
「舌が気絶しそう」という表現がすばらしい。そのうち使わせてもらおう。
張学良の別荘も、北陵へ行く路で見ました。三、四日もいらっしゃれば、何とか、紹介の労をとりますがと、領事館の方が云って下すったのだけれど、どうも中立軍張学良には興味がありません。(『哈爾賓散歩』p. 52)
もったいない。これは1930年の話だが、1936年には「中立軍」ではなくなってしまうのに。
家の作りは停子脚の軒がつづいていて、さながら台湾の風俗なり(『春の日記』p. 191)
ポートサイド(エジプト)についての記述。「亭子脚」の字が違うが、誤植かもしれない。林芙美子は、台湾にも行ったことがあるのだろうか。
この島には、オロッコ族、ギリヤーク族、ヤクート族、キーリン族、サンダー族、などの人種があって、何だかどの部落民の顔を見ても蒙古人のように見えます。……
……熊祭の夜には、部落の土人もカヌーを漕いで敷香の町のカフェーへ飲みに来るそうですが、更衣と云うことをしないので、寄りつけぬほど臭いと云うことです。(『樺太への旅』p. 243)
『1Q84 BOOK 1〈4月-6月〉』[B1344-1]で引用されていた、チェーホフの『サハリン島』を思い出す。この手紙ふうのエッセイは、難しい漢語が時々カタカナで書かれているので、ふかえりを連想させたりもする。
林芙美子は、北京で北京飯店に、ハルピンで北満ホテル(これは知らないけど)に、奉天で大和ホテルに、湯ケ島で落合楼に、奈良で奈良ホテルに泊まっていた。