実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『アレクサンダー大王(O Μεγαλέξαντρος)』(Theo Angelopoulos)[C1980-19]

新文芸坐の特集「緊急追悼上映 巨匠 テオ・アンゲロプロス」で、『アレクサンダー大王』を観る。20年ぶり二度め。前回は、夕方観に行って池袋を歩いた記憶はあるのに、映画の内容は全く憶えていなかった。

舞台は1901年の北ギリシャ。同じ目的のために集まった、思想や主義を異にする人々からなる集団が、事態の推移にしたがってもろくも崩れていったり、共産主義的なものが独裁に利用されていったりするさまが描かれている。これは学生運動から国政まで、いろんな時代のいろんな地域に当てはまるもので、非常に普遍的かつ今日的に感じられる。

ただ、そのような点に注目しすぎるといささか面白味がない。アレクサンダーの妻と(アレクサンダーとは血のつながりのない)娘、あるいはアレクサンダー大王と小アレクサンダーが同化し、同じ運命が受け継がれていくところが興味深い。これも、次の世代へと引き継がれつつ繰り返されていくことで、歴史の普遍性みたいなものを描いているのかもしれないけれど、そうするとちょっと図式的すぎ、それよりも彼らの関係の生々しさのほうが印象に残る。癲癇持ちのカリスマというのも、何かの象徴なのかどうかわからないけれどイメージとして圧倒的。

そしてこの映画の魅力は、やはり曇天の北ギリシャの山の風景と、その圧倒的な寒々しさだ。フィルムが褪色しているという注意があったけれど、どこが元の色でどこが褪色なのか、すごくいい感じにセピア色になっていた。