実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『旅芸人の記録(Ο Θίασος)』(Theo Angelopoulos)[C1975-01]

エリック・ロメールが終わったばかりのユーロスペース(公式)の特集上映は、今度はテオ・アンゲロプロス(間にアラン・レネもあったが)。今回上映されるなかでは、観ていないのは最新作の『エレニの旅』だけだが、できればいくつか観直したい。ロメールの間も、フランス映画社の懐かしい予告篇を見せられ、おばさんのナレーションの独特な暗〜いトーンと、映像美が燃え上がったりするワケのわからない日本語と、なんだかんだ言ってもよくできた内容に、観たい気持ちが盛り上がっていた。とりあえず今日は、ずっと再見したいと思いながら、長いのでなかなか観れないでいた『旅芸人の記録』を25年ぶりに観ると心に決めている。

↑単品で出してください。

10時すぎ、セガフレードでモーニングセットのクロワッサンショコラを、ぜったいに足りないと思いつつ昼ごはんとして食べる。早めにユーロスペースへ行くとめずらしくもう開いていた。客はロメールほど入っていない。アンゲロプロスを一日に何本も観るのはしんどいので、興行的には少し厳しいかもしれない。

旅芸人の記録』は、1939年から1952年までのギリシャ現代史を、ある旅芸人の一座を通して描いた映画である。ナチス・ドイツの侵攻、レジスタンス、解放、イギリス軍の進駐、左右に分かれての内戦、米国が肩入れする右派政権の成立。単に政治に翻弄される庶民というのではなく、国民の中に生じた政治的な対立が一座の中にもあり、さらにそこに一座の人間関係のもつれが絡まりあい、それがギリシャ悲劇の『オレステイア』を下敷きに描かれるという凝った構成。茶色とブルーと白の抑制された色彩、徹底した長回し、ノスタルジックな音楽。約4時間の長さもしかたがないと思える完璧さ。

映画の冒頭で、この物語の最終的な時点である1952年の旅芸人一座が提示され、さりげなく「一座の顔ぶれはかなり変わっていた」(←表現はいいかげん)と語られる。それから同じ場所に一座が到着した1939年に戻って物語が始まるが、それは「一座の顔ぶれが、なぜ、どのように変わっていったのか」を語る物語である。最終的な時点である1952年が、エレクトラ(エヴァ・コタマニドゥ)たちにとって希望を完全に打ち砕かれたときであり、それが悲劇的な結末であることは、選挙の宣伝アナウンスの声や一座を覆う雰囲気から否応なしに伝わってくる。映画は途中何度となくこの1952年に立ち戻り(時間的にいえば立ち戻るという表現は正しくないが、やはりそう言いたくなる)、悲劇的な結末の気配を繰り返し提示しながらその1952年に向かって進んでいき、最後にふたたび1939年に戻って終わる。このような構成も、本当にみごとだと思う。

映画がはじまったとき、茶色っぽいダークな色合いや土の質感を見て、なんとなく「アジアだ、中国映画だ」と思った。そのせいか、あまり馴染みのない国の話という印象はうすれ、何か親近感をもって観ることができたような気がする。これまでアンゲロプロスの映画を観て、ヨーロッパ的な、観念的な世界観だと思うことも何度かあったし、ギリシャ文明まで遡れば、ギリシャというのはヨーロッパの神髄のようなものである。しかし地理的にみればヨーロッパの端であり、ほとんどアジアだ。だから映画の最初に直観的に感じた東洋的な雰囲気も、あながち見当外れなものではないのかもしれない。

また、第二次大戦直後のギリシャの歩みをみていくうちに、否応なしに連想させられたのは台湾のことである。西側と東側の境界に位置し、「防共の砦」として米国から独裁的な政権を押しつけられたという点で、両国は非常によく似ている。『悲情城市[C1989-13]は、ある面では侯孝賢(ホウ・シャオシェン)版『旅芸人の記録』であると思うし、エレクトラオレステス(ペトロス・ザルカディス)の遺体と対面するシーンは、『好男好女』[C1995-11]を連想させた。

旅芸人といえば、『浮草』[C1959-20]も連想させられる。両者の一座をなんとなく比べてしまうが、こちらは『浮草』よりもさらに小規模で無名な感じなのに、若い人たちがやけにインテリなのが気になった。

映画の舞台はギリシャのあちこちだが、一座が1939年と1952年に訪れる、最も印象的な場所はエギオン。たぶんここ↓ではないかと思うが、ギリシャ語も読めないのでちょっと自信がない。

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