実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ミスター・ツリー(Hello! 樹先生)』(韓傑)[C2011-23]

有楽町朝日ホールで、韓傑(ハン・ジェ/ハン・ジエ*)監督の『ミスター・ツリー』(東京フィルメックス)を観る。第12回東京フィルメックスコンペティションの一本。

『ワイルドサイドを歩け』[C2006-26]がすごくよかった韓傑のたぶん長篇二作め。「順調に撮ってるな」と思ったが、実は5年も経っていた。

少年時代に父と兄を亡くし、しばしば彼らの幻影を見る樹先生(王寶強)が、結婚してトラウマを乗り越えるまでを描いたもの。兄が亡くなったのは1986年。公安に捕まって、怒った父が誤って死に至らしめてしまったということである。このあたりの背景についてはQ&Aで説明があり、当時は西洋文明が次々に入ってくる比較的自由な時代だったが、恋愛はいけないこととみなされていた、とのことである。具体的には恋愛というより結婚前のセックスだろう。樹先生の幻影に現れる兄はいつも文工団の女の子と一緒で、結婚式を翌日に控えた樹先生を応援するし、結婚後の樹先生の行動からみても、彼の抱えているトラウマ(の一部)はセックスに関する罪悪感みたいなものだと思われる。

80年代の自由な時代が描かれている映画では、『プラットホーム』[C2000-19]にも、未婚のカップルがホテルに泊まって公安に捕まり、ひどく傷ついてしまうといった事件が描かれていた。『天安門、恋人たち』[C2006-46]にも、学校当局に現場をおさえられるシーンがある。一見、自由に恋愛をして青春を謳歌しているようだが、こういった事件が当時の若者たちに与えた影響はたぶん我々の想像よりはるかに大きくて、このような時代背景をふまえて理解する必要があると思った。

樹先生はトラウマを抱えているだけでなく、時代の変化に取り残されている。天安門事件後の閉塞的な時代をほとんど知らない弟は市場経済社会に順応して生きているし、樹先生の同年代と思われる幼なじみの男たちも炭鉱を経営したりして羽振りがいいが、彼はしがない自動車修理の仕事さえクビになる。炭鉱開発のために家も立ち退きが決まっていて、よりどころがなくフラフラしている。鼻つまみ者にされている時代遅れの主人公は、『一瞬の夢』[C1997-38]の小武を思い出させた。『阿Q正伝』を読んでいないにもかかわらず「阿Qのような人物」という表現が頭をよぎったが、Q&Aで監督もそう言っていた。

時代的な背景は興味深いのだが、樹先生は戯画化されていて中途半端にコメディっぽいし、現実と幻影の区別が曖昧だったりする寓話的な映画で、わたしの好みからいうとちょっと苦手系だった。前作から変化したのは作風だけでなく、無名の素人が出ているんだろうと思っていたら、王寶強(ワン・バオチアン*)に『スプリング・フィーバー[C2009-24]の譚卓(タン・ジュオ*)というキャストで驚いた。

スタイルは変化していたが、バラックみたいな家が並ぶ街並みや、大きな木が一本聳えている樹先生の家など、茶色っぽい煤けた風景は変わらずすばらしい。舞台は吉林省。映画の中では‘吉台縣’となっていたと思うが、どうやらこれは架空の地名で、実際は遼源市のようだ。少しだけだが長春市も出てくる。長春では、人民廣場の蘇聯紅軍烈士紀念塔がばーんと映ったし、旧・満洲国帝宮や旧・満洲国国務院もちらっと映ったと思う。

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上述のように、上映後に韓傑監督をゲストにQ&Aが行われた。