実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『若者のすべて(Rocco e i suoi Fratelli)』(Luchino Visconti)[C1960-12]

銀座テアトルシネマの「『ベニスに死す』ニュープリント版公開記念特別上映 ヴィスコンティと美しき男たち」で、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』を観る。10年ぶり三度め。ほぼ10年に一度観ているらしい。直前にデジタル上映だと知り、DVDももっているので迷ったが、やはり大きなスクリーンで観たいので観ることにした。しかしモノクロ映画はカラーよりも、デジタルのがっかり感が大きい気がする。

若者のすべて【HDニューマスター版】 [DVD]

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ミラノを舞台に、南イタリアルカニアから出てきた貧しい一家を描いた重厚な人間ドラマ。ひとつの家族という、とても小さな世界を描いていながら、圧倒的なスケール感。世界よりも広い、人間の頭や心の中を描いているからだろうか。

映画はゆるく5つのパートに分かれ、5人の息子たちにひとりずつフォーカスしながら進んでいく。5人はそれぞれ異なったキャラクターに設定されている。先にミラノに出てきていた長男のヴィンチェンツォ(スピロス・フォーカス)は、実家の家族よりも、自分自身の家庭を築き、それを守ることを優先する人物。結婚相手をクラウディア・カルディナーレが演じているが、子供をぽこぽこ産む、単にやさしくてかわいい奥さんなので、ちょっともったいない。

次男のシモーネ(レナート・サルヴァトーリ)は、いわゆる都会で身を持ち崩す人物。ボクシングの才能がありながら、精神的な弱さから才能を開花させることができず、物欲や女性の誘惑にも弱い。娼婦ナディア(アニー・ジラルド)との交際をきっかけに、破滅へと進んでいく。一家に災いをもたらす存在。

三男のロッコ(アラン・ドロン)は、やさしくて寛容で家族思いの、聖人になぞらえられる人物。兄シモーネのために、好きな女性ナディアを諦め、やりたくもないボクシングに身を投じる。すべてを犠牲にするが、まさにそれがシモーネを破滅させるという皮肉な存在。聖人は現実社会には適合しないのだ。物語は、このロッコとシモーネを中心に進んでいく。演じるアラン・ドロンの美しさに圧倒される。

四男のチーロ(マックス・カルティエール)は、夜学で真面目に勉強し、堅実な就職をする、理性を象徴するような人物。正しさという観点からロッコの誤りに気づき、家族の情よりも法による裁きを重んじる。

五男のルーカ(ロッコ・ヴィドラッツ)は、まだ幼くてなにものにも染まっていない人物。チーロから何が正しいかを教わり、未来への希望を託される存在。未来へと続くかのような長い通りを、彼がひとり去って行くラストシーンが印象的である。沿道のキオスクには、試合に勝ったロッコの写真が一面を飾る新聞が、ずらりと並んではためいているが、翌日にはその写真はシモーネのものへと替わるだろう。そのことが、ボクシング界の新星ロッコやアルファ・ロメオの技術者チーロに与える影響のはかりしれなさを思うとき、ルーカに託された希望が重くのしかかる。アルファ・ロメオの工場を背に、交錯する絶望と希望。

ロケ地は、ドゥオーモの屋上くらいしかわからないだろうと思っていたが、ミラノ駅も出てくるし、ほかも探せばいくらかはわかりそうだと思った。アルファ・ロメオの工場はまだあるのだろうか。多く出てくるのは郊外らしきところだが、アパートがにょきっと建っている風景とか、中庭を囲むようにヴェランダのあるアパートとか、興味深い空間がたくさんあった。

ナディアが殺されるシーンは、『牯嶺街少年殺人事件』[C1991-16]を連想してしまう。この映画が『牯嶺街少年殺人事件』にいくらか影響を与えたということはあるだろうか。

また、『打倒 KNOCK DOWN』[C1960-58]との関係も気になる。兄のためにいやいやボクサーになるという設定や、アラン・ドロンには及ばないものの、主演の赤木圭一郎の美形ぶりが強調されているところなど、どうみてもこの映画の影響を受けているとしか思えないのだが、どちらも1960年の映画で、日本公開は『打倒 KNOCK DOWN』のほうが先。となると関係ないと考えるしかないのだろうか。