実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『須賀敦子全集 第2巻』[B1191]

須賀敦子全集 第2巻』読了。

須賀敦子全集 第2巻 (河出文庫)

須賀敦子全集 第2巻 (河出文庫)

須賀敦子という作家についてはほとんど何も知らなくて、ただヴェネツィアとかミラノとかトリエステとか、イタリアの地名のついた本は書店でよく見かけ、なんとなく気になっていた。というのも、イタリアはいつか必ず行きたい場所のひとつだから。我が家では昨年末あたりに、「2008年度にイタリアへ行く」という目標が、私の稟議も経ずに勝手に掲げられた。承認はしていないが、そろそろ準備をしなければと思っていたところに『須賀敦子全集』が出始めた。

その第2巻にあたるこの本に収められている主な作品は、『ヴェネツィアの宿』と『トリエステの坂道』である。2篇を通じて感じるのは、次々と身近な人が死んでいく物語だということだ。ある程度の年齢に達した人が自分の人生を振り返れば、人が次々に死んでいくのは、考えてみればあたりまえのことである。この本を読んでいてとりわけそういう印象が強かったのは、私もそろそろ、まわりの人が死んでいくような歳になったと感じ始めたところだったからかもしれない。

ヴェネツィアの宿』も『トリエステの坂道』も、12篇の短いエッセイから成っている。いずれも著者自身の記憶が描かれており、その順序は、ひとつの作品の中でみても複数の作品を横断してみても時系列ではない。各エッセイはそれ自体で完結しており、必ずしも順序どおりに読むことが想定されてはいないと思う。だから既出の情報と初出の情報を厳密に分けて書くことはできないわけで、同じ人物や出来事が繰り返し登場し、当然ながら情報が重複したりもする。しかしそのあたりの書き方が非常にうまい。短いエッセイをひとつだけ読んでも理解できるし、ひとつひとつ新たなエッセイを読んでいくと、人物なり出来事なりの情報が重層的に積み上がっていき、その輪郭がより明確になっていく。

イタリアで私が行きたいのは、まず何をおいてもシチリアで、ほかには『若者のすべて[C1960-12](asin:B000F4MPEU)のミラノと『親愛なる日記』[C1993-56](asin:B00005ULM3)のローマである。ところがJ先生はヴェネチアへ行きたいらしい(その理由は建築や街並みが美しいからで、タジオ少年を探そうという下心はないらしい。どうだか)。ヴェネチアへも行くと決めたわけではないが、情報収集はしておこうと思っていたところ、冒頭に『ヴェネツィアの宿』が載っていた、というのがこの本を買った第一の動機である。しかし、ヴェネチアに関しては、参考になるような記述はほとんどなかった。

そのかわりに印象に残るのは、なんといっても著者が住んでいたミラノである。『若者のすべて』を観るまでは、ミラノといえばファッション雑誌に出てくる地名というイメージが強かった。イタリア映画もイタリア料理もイタリアワインもイタリア車も好きだが、イタリアのファッション・ブランドには興味がない。そのせいか、ミラノに対して、ハイソでよそよそしいというような、あまりよくないイメージをもっていた。しかし、『若者のすべて』は工業地帯のようなところが舞台であり、ハイソとは無縁の貧しい庶民のミラノが描かれている。私はこれで俄然ミラノに興味をもったが、『トリエステの坂道』に描かれている、ちょっと郊外の鉄道宿舎のあたりの風景は、それと相通ずるものがある。気候的にも、私たちがイタリアと聞いてイメージするような、明るい太陽といった感じとは随分違うように書かれていて、そういえば『若者のすべて』も寒そうな映画だったな、と思う。というわけで、次は『ミラノ 霧の風景』を読んでみたい。

ついでに、『トリエステの坂道』には、ヴィットリーニの『シチリアでの会話』[B1012](asin:4003271513)(文中では『シチリアの会話』)への言及があるのが嬉しい。