実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『沖縄の民』(古川卓巳)[C1956-37]

フィルムセンターの特集「よみがえる日本映画」(公式)で、古川卓巳監督の『沖縄の民』を観る。

明確なストーリーのある映画というよりは、登場人物たちを通して、沖縄の民間人や召集された学生たちの様々な戦争体験を描いたもの。いろいろなエピソードが羅列的に描かれるだけで、それらがうまく組み合わさっていかないし、終盤いきなりメロドラマ的サプライズがあったりして、いくぶん面食らう。しかし、民間人がいかに軍部や本土の犠牲になり、本土とは比べものにならない苛酷な体験を強いられたのかはよくわかる。ただ、集団自決をめぐるドロドロはあまり描かれておらず、軍人だけを悪者にしているように思えた。

主演はいちおう左幸子だが、脇役に目を転じると、金子信雄、安部徹、二本柳寛、信欣三って、「いったいどこのヤクザ映画だよ」と言いたくなるメンツ。しかし、金子信雄と信欣三はまともな先生役で、安部徹と二本柳寛は軍人。安部徹は悪役だけど、いつもとは大分趣が違う。そんななか、いつものとおりの小悪役がひとり。西村晃。「お嬢ちゃんたち、そんなおじさんについて行ったら危ないよ」と思いながらハラハラして見ていたら、やはり危なかった。命がけの芋掘りシーンがかなり長いので、「もしかして杞憂か」とも思ったが、芋が掘れたらやっぱりいつもの西村晃だった。

驚いたのはラストシーン。フィルムセンターの解説には「ラストには沖縄返還への強いメッセージが込められている」とあるが、子供たちの作文がめちゃくちゃ不気味である。ほとんど本土を知らない沖縄の小学生が、「早く本土に返りたい」という作文を自発的に書くわけがない。しかも、「美しい本土」とか「美しい日の丸」といったあり得ない内容。それは戦前・戦中にすり込まれた教育そのものではないか。そんな作文を満足げに聞いている左幸子先生。おぞましいラストだった。