実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『女渡世人 おたの申します』(山下耕作)[C1971-24]

山下耕作ノ世界」の2本めは、『女渡世人 おたの申します』。これは、山下耕作映画のなかで、『博奕打ち 総長賭博』[C1968-14]や『博奕打ち いのち札』[C1971-19]ほどではないにしろ、かなり評価の高い作品である。脚本の笠原和夫も絶賛していたので、以前、録画のDVD-Rで観てみたのだが、正直「それほどかなあ」と思った。スクリーンでちゃんと観て確かめたいというのが今回の目的である。

結果は、やはり「おまえたちほどじゃないよ」という感じである。いいんだけれど、なんか引っかかる。いいシーンもたくさんあるけれど、すんなり入り込めない。微妙さというか、繊細さが足りない感じである。

それにやはり、物語が情緒的すぎる。島田正吾の演技もけっこう情緒的だし、三益愛子は、目が見えないという設定もあってそれほど情緒的ではなかったけれど、「三益愛子で母物」っていうだけでもう…(いいという人は逆にそこがいいらしいが)。

『緋牡丹博徒』シリーズでは、いつも助っ人の男に罪をかぶらせてた藤純子が、今回は最後、健さんみたいに警官に引かれて行く。その点は新鮮だ。しかし、たぶん笠原和夫藤純子に「女性ならでは」みたいなものを盛り込みたくて、母とか子とかのテーマをもってきている。その点がわたしの好みに合わない。逆に、藤純子が指をつめるシーンがあり、その場にいた男たちもみんなドン引きしていたが、やはり女の子に指をつめさせてはいけないと思う。男女同権だとかジェンダーフリーだとかそういう話以前に、美学的な問題として。少なくとも見せるものではない。

特記事項としては、いまひとつパッとしないけれど、三原葉子が出ている。