実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『その後の蜂の巣の子供たち』(清水宏)[C1951-19]

渋谷へ移動して、今日もシネマヴェーラ渋谷の「清水宏大復活!」(LINK)。『その後の蜂の巣の子供たち』(goo映画)を観る。予習に『蜂の巣の子供たち』[C1951-19]のDVD-Rを観ておきたかったが観られなかった。

『蜂の巣の子供たち』を観た雑誌記者が取材に来て記事にしたため、反響を呼んでいろんな人が訪ねてくるという話。はじめはあまりの台詞まわしの下手さが気になってしかたなかったが、子供たちが生き生きしてくると、だんだん気にならなくなった。けっこうかわいいしんちゃんと、最後にしんちゃんを探しに大阪まで行くおもろい顔の子(名前失念)のふたりの顔が映画映えするのがポイントだと思う。

「会社のお休みを有意義に過ごしたい」と言ってやって来た二人のおねえさんは、勝手に子供たちのルールを破り、仕事を奪う。それで「なかには世話をしたり面倒をみたりして、自分の気持ちだけが満足している人がよくあるんです」と言われると、「もうお説教聞かされてギャフンよ」と言って帰ってしまう。でもボランティアというのは別に崇高な行為でも何でもなく、「人の役に立っている私ってすごいわ」という自己満足のためにやるものである。だからこそ報酬を貰わなくてもやれるのであって、それがボランティアの本質だと思う。その行為が人の役に立つなら、それは別に悪いことではないが、この二人のおねえさんははっきりいって迷惑である。どちらかが日守新一の娘(日守節子)だと思うが、顔を見てもどちらかよくわからない。もうひとり、勝手に畑仕事をしてぶっ倒れてそのまま居座った変な男がいたが、その後のシーンでは、画面の隅に棒のように突っ立っていたり仏像のように座っていたりして、ものすごく妙だった。

『[映畫読本] 清水宏 - 即興するポエジー、蘇る「超映画伝説」』[B308](asin:4845900076)には、『蜂の巣の子供たち - 私と放浪児』という清水宏の文章が載っている。京都のお寺に住んで『蜂の巣の子供たち』を撮っている頃のものである。ここには、子供たちには身の回りのことしかやらせていないと書いてあるが、伊豆に移ったあとは映画のような生活をしていたのだろうか。実際は映画のようにはうまくいかないだろうが、このような生活はひとつの理想ではあると思う。強制労働じゃないかという意見もあるようだが、私はもともと「働かざる者食うべからず」という主義なのでそうは思わない(しかしながら、就職して以後は「働かないで暮らしていけるのならいつでも主義は捨てます」と思っている)。子供なんだから働かないで勉強したり遊んだりしていられたほうがいいのかもしれないが、施設でいろいろな規則にがんじがらめにされるよりは、このように楽しんで働いているほうがいい。私には子供はいないし今後もいるようになる予定はないが、もしいたら、小学校低学年から家事を仕込み、高学年になったら何でもできるようにして、全部やってもらう(つまり家庭内の労働力として思い切り使う)つもりである。ついでに言うと、学校なんかじゃんじゃん休ませて旅行に連れて行くと思う(子供のころ学校は休んではいけないと思っていたのが、今思うとものすごくバカらしい)。