『台湾映画のすべて』を読み終わる。
- 作者: 戸張東夫,陳儒修,廖金鳳
- 出版社/メーカー: 丸善
- 発売日: 2006/01
- メディア: 単行本
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この本は三章に分かれている。第一章は中央電影の役割について(廖金鳳)。中影が国民党の映画会社であることや台湾ニューシネマを生んだことなど、概要は知っていたが、これは中影の誕生から現在までをほぼ10年単位で区切り、その特徴が詳しく述べられている。各節ごとにまとめがあるのもよい。
第二章はニューシネマと台湾の政治改革について(戸張東夫)。これには、
だがニューシネマは「歴史の記憶」ばかり取り上げて、「歴史」そのものを取り上げることを避けている。この点も特徴のひとつに加えておきたい。「歴史の記憶」とは、台湾の人たちが教科書などを通じて熟知している、しかも当局に押しつけられた歴史で、真実ではないと、かねがね疑問に思っている歴史のことである。それが真実であるのかどうかを追及するのが、歴史に関心を持ち、歴史を描くということではあるまいか。(pp. 116-117)
とあるが、承服しかねる(戒厳令解除後もそうだと書かれている)。ニューシネマに描かれているのは、ここで言われているような「歴史の記憶」とは異なる、個別の歴史の記憶だと思うし、それが主要テーマではないとしても、真実を追究する姿勢がないとも思われない。また、戒厳令解除と同時に言論の自由が保障されたかのように書かれているが、『悲情城市』もカット覚悟で作られたはずである。
第三章は台湾映画に描かれた省籍矛盾について(陳儒修)。これが最も期待していた章だったが、ちょっと期待はずれだった(間違いも多いし)。ここで書かれていることの大半は、台湾映画をそれなりに観ている人ならだいたいわかることである。知りたいのはその先なのに、そこはかなり大雑把で、承服しかねる点も多い。私としては、本省人の客家人と外省人の客家人の関係とか、外省人の中のクラス間の対立とかについて詳しく知りたい。台湾人なんだから、より多くの知識があってより多くのことが映画から読み取れるはず、と期待してしまうが、もしかしたら台湾人も自分の属するエスニックグループのことしか知らず、知識や記憶はほとんど共有されていないのだろうか。だとしたら、著者が最後に楽天的に論じているのとは逆に、省籍矛盾はそれだけ根が深いということかもしれない。
ところで、巻末の《台湾映画の主要な潮流と代表作》には、『台湾黒電影』で紹介されていた“上海社会档案”や“女王蜂”が「社会派リアリズム」に分類されていた。観ていないので何とも言えないが、そうなのか?