実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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修善寺旅行第一日:鎌倉→伊東→修善寺

先週末は父の法事で、準備も含めいろいろたいへんだったので、今週末は「法事お疲れさま」温泉旅行。冬でも行ける雪の積もりにくいところといえば伊豆くらいしかなく、今回は無難に修善寺。いいわねえ、修善寺。奮発して、かつて夏目漱石が滞在した憧れの宿、湯回廊・菊屋(公式)に泊まることにした。

出発は予定どおり9時すぎ。ちょうど晴れてきてドライブ日和である。ピサンゴレンが食べたいばっかりに伊東回りで行く予定。土曜日なのに、国道134号、西湘バイパス、真鶴道路、熱海ビーチライン、国道135号とほぼ渋滞知らずで進み、11時半ごろ道の駅伊東マリンタウンに到着。いつものインドネシア料理スラバヤで、いつもの牛肉のブラードソース炒めのランチのあと、揚げバナナ(上左写真)とコピ・バリのデザート。


伊東からは伊東修善寺線(県道12号)で修善寺までくねくね。中伊豆バイパスが無料化されたもう一本の道路のほうが楽そうだが、ここはくねくねの魅力を取る。結果は大正解で、対向車もほとんどない独走状態でくねくねする。紅葉はほとんど終わっているが、まだいくらかは残っていて、冬枯れと、赤や黄色の紅葉と、常緑樹の緑とが入り混じった景色はなかなか美しい(上右写真)。途中、「この先積雪あり。チェーン装着」とかいう看板があってぎょっとするが、もちろん雪はなかった。快調に飛ばして修善寺橋(下左写真)を渡り、13時半ごろ修善寺の菊屋(下右写真)に到着。

車と荷物を預けて修善寺の町を散策。修善寺はたしか三度めだ。まず、ハリストス正教会・顕栄聖堂(上左写真)へ。1912年竣工のビザンチン様式の教会で、内部には旅順からかっぱらってきたものもあるらしいが、入口は閉ざされている。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)映画のような雰囲気の街灯(上右写真)や渋い日本家屋(下左写真)を通り過ぎ、指月殿(下右写真)へ。伊豆に現存する最古の木造建築で、源頼家の冥福を祈って北条政子が建てたもの。さらにその裏山へ、源頼家の墓や源義経像を見に行く。

紅葉を残す桂川の風情(左写真)や、前回泊まった新井旅館(右写真)などを見ながら散策し、一石庵で休憩。特に食べたかったわけでもないのに黒米餅を注文し、「おなかもすいていないのに、なぜにわたしは餅などを食べているのか?」と自問しつつ後悔する(まずかったわけではない)。しかしここに『夏目漱石の修善寺』という本があり、漱石が修善寺の大患のときに滞在していた今はなき菊屋本館は、虹の郷に移築されていることがわかったので、この店に来た甲斐はあった。
夏目漱石の修善寺―修善寺は漱石再生の地

夏目漱石の修善寺―修善寺は漱石再生の地

15時半ごろ菊屋にチェックイン。ロビーでお茶をいただきながらといういまどきな形式。新館の部屋は、掘りごたつ(こたつはまだなかった)のある畳の部屋とベッドのあるフローリングの部屋がつながっている、最近ありがちなレトロモダンな和室。浴衣もいまどきふうに好きなのが選べるが、色が違うだけでちゃんと菊屋の模様なのがよろしい。利便性を考慮して女性用の浴衣は上下に分かれているが、それなら袂もなくしてほしいものだ。上に羽織るものはフリースのマント風で、浴衣も部屋と同様、和洋折衷のモダンな感じを狙っているらしい。寝るとき用にパジャマも用意されている。

まずはお風呂である。この旅館には、内湯の「菊風呂」と露天の「朱雀の湯」の二つの大浴場と、内湯、露天それぞれ二つずつの貸切風呂がある。夕食前に二つ入っておくとあとが楽だが、結局ひとつがやっと。貸切の内湯は二つとも使用中だったので菊風呂にしたが、誰もいなくて大浴場を貸切状態だった。お風呂のあとはタダのコーヒー牛乳を飲む。

晩ごはんは食事処・修善寺囃子だが、カウンター席だったのにがっかり。本来はバーカウンターなのでバーテンダーの人が給仕してくれるが、その丁寧すぎる応対がひどく気づまりだった。部屋食でないのはまあいいとしても、旅館の食事は半個室の気軽なスペースでまったりしたい。その時間に客が集中しているのなら、カウンターでもいいか、それとも時間を変えるか聞いてほしいと思う。料理の内容もちょっとがっかり。まずいわけではないが、桜海老や蟹や貝や魚の卵など、魚介の中でもわたしの苦手とする部類が多用されていた。焼物や煮物が選択できたり、洋皿が入っているなど、食事もいまどき風。麦豚の豆乳鍋はおいしかった。

ごろんと横になりたい満腹感だが、そんなことをしていてはお風呂が制覇できない。幸い、貸切露天がひとつ空いていたので、食後の第一弾は黎明の湯「月」。檜の丸いお風呂である。お風呂のあとはタダの牛乳を飲む。続いて内湯の貸切風呂を狙うがいずれも使用中だったので、塔のある八角堂が「漱石庵」というラウンジになっているところで、タダの機械淹れ珈琲を飲みながら休憩。そのあいだに「古代の湯」が空いていたので入る。洗い場に畳が敷かれたお風呂。お風呂のあとはまたタダの牛乳を飲む。

部屋に戻ると、「今はおなかがだぶだぶ」というわたしの制止も聞かず、J先生がタダのスワンサイダー(創業明治三十五年)を飲み始める。でもJ先生もおなかがだぶだぶなので全部飲めないうちに10時になり、タダで供されるというしなそばの様子をうかがいに行く。ハーフサイズだったので、ついついケチくさい根性が働いてひとついただく(J先生はおなかがいっぱいだと言って頑なに一口も食べず)。金目の味噌汁などに対抗しようとしているのかもしれないが、ラーメンである必然性がよくわからない。今日最後のお風呂は露天の大浴場、「朱雀の湯」。脱衣所には人がいたものの、お風呂に入るとまたも貸切状態だった。半分は屋根のない露天で気持ちいい。

菊屋は創業360年の歴史があるらしいが、改装されてからは、いわゆる老舗旅館というより、歴史もそれなりにウリにしつつ、利便性や快適さも追求した現代的な旅館。要するに、J先生に迎合している宿である。宿泊客からすれば、浴衣で館内を歩き回れる旅館ならではの気楽さはそのままに、仲居さんとのつき合いなどは極力減らしてプライバシーを確保できる。旅館からすれば、部屋食や布団敷きの手間を減らして人員削減できる。貸切風呂もタダだし、牛乳や珈琲、ラーメン、サイダーなど、いろんなものがタダで提供されている。そのぶん宿泊料に含まれているともいえるが、個別対応を減らすぶん、タダで提供しても合理化になるのかもしれない。もう少し老舗の重みがあってもいいように思うが、いろんな要求に対応していてたしかに過ごしやすい宿ではある。しかし、建物、お風呂、ごはんを三大ポイントとすれば、ごはんがちょっとわたしの要求に合っていないので、もう一度行きたいかと言われるとちょいと首をかしげる宿である。もう一度行くならやっぱり新井旅館だよね。