『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』読了。
- 作者: 亀山郁夫
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/09
- メディア: 新書
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『カラマーゾフの兄弟』のテクストや関係者の証言などを分析して書かれた本なので、『カラマーゾフの兄弟』初心者のわたしには特に文句はつけられない。ただ、異議を唱えたい点がひとつある。
そのときはもう、『カラマーゾフの兄弟』というタイトルは放棄せざるをえない。「兄弟」の言葉は現実的な意味を失い、「血のつながらない兄弟、理念・理想をともにする同志」と、より象徴的な意味にシフトしていく。(p. 139)
タイトルを変える必要は全くなく(いや、原題については知らないけどね)、読みを「カラマーゾフのきょうでぇ」にすればいいと思う。
そんなことを考えつつ、頭の中で大木実の『侠客仁義』を歌っていたら(でもこれ、「きょうだい」って言ってますね)、続編のストーリーが勝手に浮かんできたのでメモしておく。この本で空想されたストーリーをベースにしているが、もちろんテクストの分析に基づくわけでもないし、当時のロシアの状況にも詳しくないので、リアリティの面から反論しないでください。
まず、全体的な想定から。
- 主な舞台はシベリアである。著者は、皇帝暗殺の舞台をノヴゴロドに選定しているが、皇帝暗殺もシベリア。実はシベリア鉄道がまだ開通していないので、この設定はかなり苦しいのだが、まあいいことにする。『人生劇場 飛車角と吉良常』[C1968-13]の後半、主要登場人物がすべて三州吉良港に集結するが、ちょうどあのイメージ。同じく後半に主要登場人物がすべてシベリアへと集結する。ミーチャ、グルーシェニカ、リーザの三人はすでにシベリアにおり、カラマーゾフ関係者はミーチャの再審のために、コーリャたち革命分子は皇帝暗殺のためにシベリアへやってくる。両者に共通するのがアリョーシャ。
- アリョーシャは、第一部のあと、ロシア各地から北東アジアを放浪し、革命思想を身につけて戻ってくる。故郷でコーリャたちと再会し、彼らの精神的、理論的指導者となる。アリョーシャは皇帝暗殺を狙う革命家になってはいるものの、その役割は『人生劇場 飛車角と吉良常』の吉良常である。つまり、様々な登場人物を結びつけると同時に、彼らの間に入って対立を和らげる緩衝材としての役割。常に中心にいながら、結局のところ表舞台で華々しい活躍をすることはない。
それでは後半の具体的なストーリー(なぜか映画である)。
- 皇帝がシベリアを訪れる(「何しに?」とか聞かないように)という情報をキャッチしたアリョーシャたちは、暗殺計画を練ってシベリアへと向かう。ミーチャの再審を画策するイワンもまたシベリアへと向かう。
- グルーシェニカ(左幸子)の家で再会したイワンとアリョーシャは、そこで偶然リーザ(藤純子)とも再会する。前半、イワン、アリョーシャとの三角関係のもつれから、リーザは突然姿を消していたが、実はグルーシェニカを頼ってシベリアへ来ていたのだ。三人はそれぞれ動揺するが、すべてはすでに過去であり、ここで物語が動くことはない。
- ある日、リーザは偶然アリョーシャの背中を見てしまう。そこには立派な龍の刺青が施されていた。マゾヒスト、リーザの目が妖しく光る(ここは『昭和おんな博徒』[C1972-19]の江波杏子のイメージで)。アジア放浪の途中、日本を訪れたアリョーシャは、なぜか刺青を入れ、自身も優秀な彫師となっていたのだ。そのことを知ったリーザは、ぜひ自分にも刺青を入れてくれるようにと頼む。
- 不治の病に犯されていることにうすうす感づいていたアリョーシャは、リーザの体に自分の最高傑作を残そうと決意する。刺青とともに自分のすべてをリーザに託そうと決めた彼は、刺青の針に革命の理想を込めてリーザの体に刻み込む。美しい緋牡丹の刺青を施されたリーザは、革命の戦士として生まれ変わる。
- アリョーシャはついに病に倒れる。コーリャたち若者に簡単に命を落としてほしくないと思う彼は、自身が皇帝の暗殺を決行するつもりだったが、それも不可能になる。アリョーシャを訪ねたコーリャは、自分が代わって計画を実行するという決意を語り、アリョーシャの許しを求める。「こんな〜おいらの命〜でよけ〜りゃ〜、使っておくれよ、なあ兄弟よ♪」と大木実の歌が流れる(だけどコーリャは菅原文太だ)なか、ついにアリョーシャはコーリャにあとを任せることにする。「兄弟、たとえそれができねえ相談でも、おらあ、兄弟のためなら喜んで死なしてもらうぜ」。まるで大木実のモノローグに聞き入っているかのように、黙って見つめあうふたり(カット)。
- アリョーシャの病状が悪化し、みんながアリョーシャのベッドのまわりに集まる。ここで初めて、すべての主要登場人物が一堂に会する。みんなの願いも空しく、惜しまれながらアリョーシャは世を去る。
- ともにアリョーシャの志を受け継ぐコーリャとリーザは、急速に接近する。ある日リーザは、皇帝がすでに極秘裏にこの地を訪れており、自分たちの暗殺計画が実行できなくなったことを知る。あいにくコーリャはモスクワへ出かけており、メンバーのあいだに動揺が広がることを恐れたリーザは、自分ひとりで皇帝を暗殺する決心をする。
- 雪が降りしきる中、リーザはひとり家を出て皇帝のいる屋敷へ向かう。途中、橋のたもとにコーリャが立っている。無言で見つめあうふたり。「ご一緒ねがいます」とコーリャの目が語り、ふたりは連れ立って歩き出す。背後に流れはじめる音楽。「むすめ〜ざかりを、渡世〜にか〜け〜て〜、はった体に緋牡丹も〜え〜る♪」
- リーザが皇帝(やまりん)の部屋に忍び込むと、皇帝は警戒も忘れてその美しさに釘づけになる。皇帝になかば背を向けたリーザは、まとっていた毛皮をするりと脱ぐ。下は裸で、背中には緋牡丹の刺青が妖しく輝く。魅了された皇帝が金縛りに遭っている隙に、リーザは短刀ですばやく皇帝を仕留める。
- 男装して逃げようとするリーザだが、護衛に見つかってしまう。そこに経過を見守っていたコーリャが現れ、「ここは僕に任せてください。あなたはアリョーシャの遺志を継いで、若い革命家を育てなければ」と言う。コーリャは大勢の護衛相手にひとりで大活躍するが、最後には捕まってしまう。
- コーリャの裁判と、ミーチャの再審とが並行して描かれる。コーリャは死刑になるが、民衆は彼を支持し、革命の気運が高まっていく。一方、イワンの犯罪は立証できないため、スメルジャコフが真犯人ということでフョードル殺しは決着し、ミーチャは釈放される。ミーチャはイワンを赦し、ふたりは和解する。
- リーザは、皇帝の信頼厚い有力貴族、若山富三郎の助けを借り、正体を知られることなく逃げおおせる。どこか遠い町で、若い革命家を育てるリーザ。アリョーシャとコーリャを失った悲しみを漂わせつつも、未来への希望をにじませて映画は終わる。エンドマークは、モスフィルムの映画の終わりに出る「終わり」のロシア語。
なお、第二部は第一部の13年後の物語ということだが、第二部は第一部(id:xiaogang:20080312#p2)のきっちり10年後、1968年に、モスフィルムと東映の合作で映画化される。オープニングで、モスフィルムのくるくるまわる銅像と東映の「荒磯に波」(わたしはずっとこれが佐渡島だと思っていたのだが、どうやら違うようですね)を両方見られることは、映画ファンにとってはなにものにも替えがたい喜びである。監督はとりあえず、内田吐夢と加藤泰の共同ということにしておく。全体を統括するのが内田吐夢で、エログロの部分が加藤泰。