実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『三峡好人(三峽好人)』(賈樟柯)[C2006-21]

今日から東京フィルメックス。3時すぎにさっさと仕事を終わって出京。Meal MUJIで晩ごはんを食べてから、東京国際フォーラムへ向かう。まずはオープニング・セレモニー(開会式って言えよ)があるが、関係ない人のくだらない挨拶がないので、20分ほどで終わる。フィルメックス一本目は、特別招待作品の『三峡好人』。賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の新作で、今回一番の期待作だ。

映画の舞台は、三峡ダムによって沈みゆく重慶市奉節縣。山西省からやって来た炭坑夫の男性(韓三明)と看護士の女性(趙濤)が、それぞれこの地にいるはずの配偶者を探すという物語を軸に、留まり続ける人、去って行く人、新たにやって来る人、やって来てはまた去って行く人が、つかの間交錯する物語。二人の人生は、この三峡訪問を契機に転回し、同時にいくつかのささやかな出会いと別れがある。はたして二人は妻子や夫と会えるのか、会ってどうなるのかというのがサスペンス的に物語を引っ張っていくので、賈樟柯作品としてはふつうの人にも観やすい映画だと思う。

『沈む街』(章明)[C1996-49]、『週末の出来事』(章明)[C2001-01]、『水没の前に』(李一凡、鄢雨)[C2004-43]に続く三峡もの。特に『水没の前に』は最近観たばかりで、同じ重慶市奉節縣が舞台だし、これに出ていた旅館経営者の向さんが『三峡好人』にも出演していて(やはり旅館をやっている役)、かなりデジャヴ感がある。時間的には『水没の前に』の続きといってもいい。すでに事態は後戻りできないところまで進行しており、破壊も立ち退きもトラブルも、もはや日常となっている。ちなみに『沈む街』と『週末の出来事』の舞台、巫山は奉節の隣で、同じ重慶市にある。この映画にも少し出て来ていたと思う。

キャメラが船に乗っている人を横移動でとらえ続けたのち、「主演:趙濤、韓三明」というクレジットが出て、その直後に韓三明(ハン・サンミン)(彼は『プラットホーム』[C2000-19]にちょっとだけ出ていた)の姿が映し出されると、それだけでもう訳もなく感動してしまう。ペットボトルに巧みにタダで水を補給しては(これは見習いたいものである)飲み続ける趙濤(チャオ・タオ)だとか、『世界』[C2004-34]と同様に差し向いで飲み食いするシーンのすばらしさだとか、うどんのような麺を食べる男が一人また一人と増えていくシーンのワイルドさだとか、ニヤリとさせられる『男たちの挽歌[C1986-53]の引用だとか、お札を使ったお国自慢(確認しようと人民元を出してみたが、うちには表が毛主席ではない古いお札しかなかったのだった)だとか、細部がいちいちすばらしい。趙濤と王宏偉以外はたぶん素人で、ほとんどは実際に奉節の街に暮らしている人だと思うが、みな登場シーンは短くてもその存在感を深く印象づける。

賈樟柯映画の魅力のひとつは、「今ここにあることの切実さ」みたいなものだと思うのだけれど、この映画にはそれが感じられない。刻々と変わりつつある奉節の町も、三峡訪問に人生の転機を賭ける主人公たちも、今ここの切実さに満ちているけれども、そのためにかえってそれを感じさせない。そのことは観る者にとって物足りなくもあるが、それは賈樟柯の変化というより、この映画の成り立ちによるものだろう。ドキュメンタリーを撮っているうちにふと思い立って、脚本も数日で書いて撮ったというこの映画は、多分に即興的に、今しか撮れない奉節の変化をフィルムに(フィルムじゃないけれど)収めたものだ。賈樟柯が登場人物たちを見る視線はいつになく暖かいが、それは二人の主人公と同じ旅人のまなざしである。いずれにせよこの作品は、賈樟柯フィルモグラフィーの中では本流から少し外れたところにあり、愛すべき小品であるが、良くも悪くも小品という感じがする。

キャメラはもちろん余力爲(ユー・リクウァイ)。雨に煙った山の景色も廃墟の光景も美しく、この土地の湿気と暑さは視覚的には十分表現されている。しかし、フィルムではないためなのかどうなのか、その空気の臨場感みたいなものには物足りなさを覚えた。そのせいか、すべてのショットに心を奪われながらも、ぐいっと捉まれる瞬間がなかったのが残念である。

上映後、賈樟柯監督と主演の趙濤をゲストにQ&A(採録ココ)があった(この二人は開会式にも登場)。賈樟柯のことを「中国の高浪敬太郎」などと呼んでいるうちに、もしかして高浪敬太郎より有名になってしまったかも。ナマ趙濤は初めて(初来日らしい)だが、顔はぷっくりしているのに足は細い。この映画は来年公開らしいが、“江湖”を連発する賈樟柯の答えを聞きながら、邦題は『流れて三峡』で決まりだな、と思った。