バンガロールに来ちゃったの

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2010年08月25日のつぶやき

『細い目(Sepet)』(Yasmin Ahmad)[C2004-32]

昨日味をしめたので、今日も天野屋に寄って氷甘酒を食べてからアテネ・フランセ文化センターへ。「ヤスミン・アフマド監督作品特集」3本めは『細い目』。東京国際映画祭で観て以来の二度めである(前回の感想:id:xiaogang:20051026#p2)。続篇の『グブラ』[C2005-49]も観たし、イポーも再訪したし、ぜひとももう一度観たいと思っていた作品。

マレー人少女と華人少年の恋愛を描いたこの映画は、たしかにマレーシア映画史において、さらにはマレーシア文化史にとって、特筆すべき作品だと思う。ヒロインのオーキッド(シャリファ・アマニ)やその家族の人物造型も、何度観ても魅力的だ。しかしながら映画としての出来は、この作品以降の長篇5作(『ラブン』[C2003-31]はたしかテレビ用なのでちょっと別にしておく)の中でいちばん劣るように思う。

まず、ストーリーがドラマチックすぎる。ジェイソン/阿龍(ン・チューシオン)と仲違いしたまま、オーキッドがイギリスに留学して会えなくなってしまうというので十分だと思われるのに、なぜジェイソンが死んでしまう必要があるのか。また、空港へ向かう車の中でジェイソンの手紙を読んだオーキッドが、母親まで巻き込んでえんえんと大泣きするのがうざすぎる。おかげで、泣かされるはずのクライマックスで妙に醒めてしまう。

ヤスミン・アフマドの映画では、『ムクシン』(Yasmin Ahmad)[C2006-18]や『ムアラフ 改心』[C2007-39]のように、恋愛未満の関係の描写はとても生き生きとしているのに、この『細い目』にしても『タレンタイム』[C2009-18]にしても、両想いになってしまうとどうもいまひとつなように思われる。

また、ジェイソンの人物造型がどうもウソくさく、魅力に乏しい。“報告班長3”より『恋する惑星』が好きというのはたしかに魅力的だが、タゴールの詩を愛読していて、成績はかなりいいのにチンピラまがいのVCD売りで(いくらブミプトラ政策があるとはいえ)、ボスの妹を妊娠させて…というのは、どうも現実味が乏しい。なんだか理想の男性像と香港映画の観過ぎとがヘンに混ざり合ったような感じ。演じているン・チューシオンが見た目も存在感もいまひとつで、オーキッドが一目惚れするようには見えないのも原因のひとつかと思う。

それから、このあと『グブラ』を観る予定なので、今回はジェイソンのお兄さんにちょっと注目して観てみた。しかし出番も台詞もすごく少なく、やはりぜんぜん印象に残らなかった。

『グブラ(Gubra)』(Yasmin Ahmad)[C2005-49]

「ヤスミン・アフマド監督作品特集」4本めは『グブラ』。3年前にここで観て以来の二度め(前回の感想:id:xiaogang:20070804#p2)。やっと『細い目』[C2004-32]と続けて観ることができて満足。

今回まとめて観て思ったのは、『細い目』、『グブラ』、『ムクシン』[C2006-18]で三部作と呼ぶべきだということ。オーキッド三部作というより、オーキッド&ジェイソン三部作。『細い目』で引き裂かれて終わるふたりを後日ふたたび結びつけるのが『グブラ』で、前もって宿命づけるのが『ムクシン』であるといえる。しかしそう考えると、ジェイソン役をもうちょっといいオトコにしておけばよかったのに、とあらためて思う。ヤスミン・アフマドの映画は、シャリファ・アマニあるいはその妹たちの輝きに多くを負っている。それにひきかえ、ジェイソン役のン・チューシオンはやはりあまりに…。『細い目』だけで終わりならまだいいけど、ここまで引きずるとなるともう少し輝きがほしい。『グブラ』と『ムクシン』はワンシーンの出演だけに、余計に印象に残る人であってほしい。

あとは、今回観て感じたこと、書きとめておきたいことを断片的に。

  • 最も印象に残るのは、やはりオーキッドがジェイソンの部屋で遺品と対面するシーン。『細い目』での彼女の泣きはうざかったけれど、こちらでは切なく胸を打つものになっている。女優としての成長のあと、と言っていいだろうか。
  • ジェイソンよりアランのほうがいいと思う。
  • お手伝いのヤムさんと看護師との恋物語が好き。
  • ヤスミン・アフマドの作品のなかで最も重いというだけでなく、人間の悪い面、醜い面まで突っ込んで描いており、いつもの「人間賛歌」的なものとは印象を異にする。
  • 祈りへの願いがこめられていると同時に、宗教の無力さをも感じさせる。
  • 前回の感想に、「マレー人のためのイスラム教の国であることを第一義とするマレーシアが抱える矛盾と、そのツケを個人が払わされる理不尽さを、かなりはっきりと描いた映画」と書いたが、ちょっとメッセージが前面に出すぎていて青い感じがする。
  • オーキッドのおとうさんは『小早川家の秋[C1961-04]の中村雁治郎を思わせるが、これはやはり意図的なものと思われる。会場で売っていた『タレンタイム』のパンフレットに、小津のお墓参りをするヤスミン監督の写真が載っていたので。
  • オーキッドがテレビで『ラブン』[C2003-31]を観ているシーンがある。
  • オーキッドとアランが車の中で歌うのは、許冠傑(サミュエル・ホイ)の“無情夜冷風”。エンディングの張子夫(ピート・テオ)の歌は“Who for You?”。

『女神(神女)』(吳永剛)[C1934-08]

フィルムセンターの「フィルム・コレクションに見るNFCの40年」(公式)で、吳永剛(ウー・ヨンカン)監督の『女神』を観る。阮玲玉(ロアン・リンユイ)主演の伝説的な映画。

子供を育てるために娼婦になった女(阮玲玉)が、これでもかこれでもかと不幸になっていく話。最初のほうは阮玲玉のたたずまいがモダンな雰囲気で、「阮玲玉って中国の桑野通子かも」などと思いながら楽しんでいた。しかし、ヒモがついてからは観客の予想どおりに悪いほう、悪いほうへと進んでいき、いくら「不幸が似合う女」阮玲玉といえども観ているのがしんどい。議論や裁判など、サイレントに不向きなシーンが多いのもつらい。阮玲玉は熱演しているし、1934年の映画としてはなかなかよくできている。

ところで、阮玲玉の映画のたびに「この人は果たしてそんなに美人なのか?」と思いながら観るのだけれど、どうもよくわからない。メイクのせいか、サイレントの女優は西洋人も東洋人もけっこう同じ感じに見える。