バンガロールに来ちゃったの

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2010年08月24日のつぶやき

天野屋の氷甘酒

アテネ・フランセへ行く前にかき氷を食べようと思いたち、早めに昼ごはんを食べて出京。竹むらへ行こうかと思って調べていたら、写真撮影禁止とかケータイ禁止とか書いてあったのでやめて、神田明神前の天野屋(公式)へ。

天野屋

食べログ 天野屋

食べるのはもちろん氷甘酒(↓左写真)。夏バテに効くらしいというので最近話題の甘酒だが、わたしは夏バテとは無縁だし、そもそも夏バテってどんなものかも知らないので、そんなことはどうでもいいけれど、とにかくこれはめちゃくちゃうまい。

エアコンのきいた店で冷たいものを食べるほど興ざめなものはないが、ここにはエアコンなんて無粋なものはない。暑いなあと思いながら食べはじめると、なくなるころにはほどよく涼しくなって最高の気分。庭に面した窓辺の席(↑右写真)も気にいったが、実はこの奥(右手)はトイレだった。でもこの開放感は捨てがたい。

難をいえば、量がちょっと少ない。もっとおなかいっぱいになるくらい食べたい。しかもこれで500円は高いと思うが、東京だからしかたがないか。葉山とは違うもんね。

『ムクシン(Mukhsin)』(Yasmin Ahmad)[C2006-18]

先週末からアテネ・フランセ文化センターで始まった「ヤスミン・アフマド監督作品特集」。上映される長篇6本はすべて観ているし、『ラブン』[C2003-31]と『ムアラフ 改心』[C2007-39]以外はマレーシア盤DVDももっている。しかしながら、その作品のすばらしさにもかかわらず、日本で正式公開もDVD発売もされていないヤスミン監督の映画が、日本語字幕つきでスクリーンで観られるとなれば、たとえ会場がアテネ・フランセであろうとも、行かないわけにはいかない。

噂に聞いていたアテネ・フランセのエレヴェータにはじめて乗って、まずは『ムクシン』を観る。これはすでに2回観ている(id:xiaogang:20061027#p4, id:xiaogang:20070804#p3)ので、今回は行かないつもりだったが、シャッフルで聴いていた音楽で偶然ニーナ・シモンの『行かないで(Ne Me Quitte Pas)』がかかり、これを聴いたらもう行かずにはおれない。

遺作の『タレンタイム』[C2009-18]まで観たあとにあらためて観て、わたしはやはり、この『ムクシン』がいちばん好きで、ヤスミン・アフマドの最高傑作だと思う。この作品は小学生の男女の初恋を描いた小品だが、まずその初恋物語が完璧なまでにかわいく切ない。大貫妙子の歌に、グリークの曲に詞をつけた『みずうみ』というのがあって、「だれにもただ一度だけの夏があるの それは恋と気づかないで恋した夏」という歌詞があるが、まさしくそれである。ちなみにこれはシュトルムの『みずうみ』を意識した詞だと思うが、この小説は映画化されていないのだろうか。すごく好きな小説だし、映画向きだと思われるのだが。

話を戻すと、『ムクシン』はある意味たわいない小品であって、他の作品のように人が死んだり殺されたり、民族や宗教の深刻な対立が描かれたりしているわけではない。しかし、かわいくて切ない初恋物語と、楽しくて笑える家族の物語のなかに、宗教、言語、貧富の差、教育など、マレーシアに存在する様々な問題がさりげなく散りばめられ、メインの物語と絡みあっている。声高に語られないぶん(他の作品だって決して声高ではないが)、さりげなく埋もれている問題を掘り起こす楽しみがある。

スタイル的にも、カメラがあまり動かず、長回し気味のこの作品がいちばん好き。

いちばん好きなのは、前にも書いたように、『行かないで』のレコードをかけるシーン。このシーンの魅力は、まず第一に、歌詞とムクシンの思いがリンクしていること。第二に、家の中にいるオーキッドと外にいるムクシンという配置が、ふたりの仲違いを表すのと同時に、ふたりの置かれている立場の違いを表していること。オーキッドの両親が使用人も対等に扱うような人なので、問題になることはないが、オーキッドの家庭とムクシンの家庭とのあいだには、社会的にも経済的にも、また子供たちが親から受ける愛情にも、明らかな差異がある。明るい部屋の中で家族に囲まれて楽しそうに過ごすオーキッドと、暗い窓の外にひとりぼっちで佇むムクシンの対比は、この差異を鮮やかに表現している。第三に、とても悲しいシーンであるにもかかわらず、スプレー缶みたいなものをマイク代わりにして歌うおじさん(この映画では何の説明もないが、『グブラ[C2005-49]に出てくる、両親が引き取った隣家の青年ですよね)が可笑しすぎて、泣き笑い状態にならざる得ないこと。

ヤスミン監督の前半の作品は、オーキッド三部作とか四部作とか呼ばれているが、わたしはジェイソンが絡まない『ラブン』は置いといて、『細い目』[C2004-32]、『グブラ』、『ムクシン』で三部作と呼ぶべきだと思う。今回特に思ったのは、『細い目』で引き裂かれて終わったオーキッドとジェイソンを、後日結びつけるのが『グブラ』で、前もって宿命づけるのが『ムクシン』だということ。『ムクシン』は、成長したオーキッドのモノローグで綴られるエピローグ部分がやけに長いが、『ムクシン』単体としてはエピローグにすぎないけれど、三部作としてみると実はここがメインだったりする。ムクシンとオーキッドの物語は、ここに至るための長い長いプロローグなのだ。

ところで、わたしはマレー系の男性にはあまり惹かれないが、ムクシン(モハマド・シャフィー・ナスウィプ)はなかなかいい男だと思う。小学生(『タレンタイム』ではだいぶん大きくなっているけれど)に萌えてもしかたがないが、彼をいい男だと思うのは、たぶんちょっと赤木圭一郎に似ている気がするからだ。日本にはぜんぜん「第二の赤木圭一郎」が現れないので、「台湾の赤木圭一郎」楊祐寧(トニー・ヤン)とともに、ぜひとも今後の映画界を担っていってもらいたい。

『ムアラフ 改心(Muallaf)』(Yasmin Ahmad)[C2007-39]

つづいて「ヤスミン・アフマド監督作品特集」2本めは『ムアラフ 改心』。東京国際映画祭で観て(id:xiaogang:20081019#4)以来二度め。マレーシアでの公開が遅れ、まだDVDが発売されていないと思っていたので、今回これだけはぜったい観ようと思っていたが、いつのまにか出ていたので今朝注文した。でももちろん、映画も観る。

これは『ムクシン』の次くらいに、かなり好きな映画。「改心」なんて、わたしには無縁のけったいなタイトルがついているし、宗教が前面に出ているから一見重そうだが、ユーモアの頻度はかなり高い。なにより、主役3人の人物造型がすばらしい。

まずは華人青年ブライアン(ブライアン・ヤップ)。『細い目』[C2004-32]のジェイソンには今ひとつ魅力を感じなかったわたしだが、このブライアンはいい。顔は眼が細くて少しつり上がっていて、イケメンにはなりそびれているし、ヘンなバックルのベルトをしている点でアウトである。でもどことなく好感がもてるし、なんといっても性格がユニーク。幼少時のトラウマにより女性には臆病で、いくぶん歪んだ性欲をもてあましている。几帳面で、留守を頼まれたらせっせと掃除や洗濯をする。わたしは男性が家事をするところを細かく描いた映画や小説が大好きだ。村上春樹が好きなのもそのあたりに大きな理由があるが、なぜ村上春樹がウケるのかを分析した文章は多いのに(もっともロクに読んでいないが)、そこに言及したものは見たことがないのが不満である。

マレー人姉妹アニ(シャリファ・アマニ)とアナ(シャリファ・アリシャ)もいい。十代であんなに宗教に詳しいなんてリアリティはないかもしれないが、 知識が自在に繰り出され、大人を黙らせるところが爽快。アナの学校での態度も超クール。わたしはイヤな出来事を引きずらない性格だが、どちらかというと、「超ムカつく、許せない」と(アタマの中で)蹴りを入れて忘れるタイプなので、この姉妹のようにイヤな目にあわされた相手を毎日許すなんてできそうにない。だから、ふつうなら「なにさ、ぶりっ子」と思うんだけれども、なぜかこのシャリファ四姉妹の人たちが演じていると嫌味にならない。

そのほか、今回はしっかり認識した楊雁雁(ヤオ・ヤンヤン)もよかったし、何宇恆(ホー・ユーハン)監督もいい味出していた。ニン・バイズーラは今回も忘れていて、エンディング・クレジットでやっと思い出したけれど。

マレーシア映画によく出てくる、入口で靴を脱ぐ習慣が繰り返し使われていたり(ラストが秀逸)、毎度朝ごはんにロティ・チャナイを食べに行くところもお気に入り。

あと、ふつうマレーシアで多様性を考えるとき、マレー人ムスリムがマジョリティで、他の民族や宗教がマイノリティなのだが、ここではカトリック学校という中国系・インド系キリスト教徒の中に放り込まれたマレー人ムスリムという、ちょっと逆転した状況がおもしろいと思った。結局、人は自分の理解できないものに対して排斥したり攻撃的になったりするわけで、宗教が前面に出ていて一見違う世界の話のように見えるけれども、実はこれまでの作品よりも普遍性のある内容になっていると思う。マレーシアのような明らかな多民族・多文化国家では、表立って対立があるぶん、協調の必要性も共有されているけれど、日本のようなところでは、認識も自覚もないまま多様性を排除しようとしていることがかなり多いような気がする。