実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『愛の嵐(Il Portiere di Notte)』(Liliana Cavani)[C1973-02]

シネマヴェーラ渋谷(公式)の特集「ナチスと映画」で、リリアーナ・カヴァーニ監督の『愛の嵐』を観る。25年ぶり二度め。ウィーンが舞台なので、去年ウィーンに行く前に録画で観直して、もう一度スクリーンで観たいと思っていた作品。

ナチスの親衛隊員マックス(ダーク・ボガード)とユダヤ人少女ルチア(シャーロット・ランプリング)が、1957年のウィーンで再会する話。初めて観たときは、かなりエロティックで衝撃的な映画だと思ったが、あらためて観るとそれほどでもない。性的嗜好などの問題だけではなく、かつて過ごした濃密な時間やその相手が忘れがたく、どうしてもそこに回帰してしまうというのは、いま観るとなんとなくわかる気がする。

ただし、ふたりが互いに愛し合い、法律的には問題がなくても、社会はそれを許さない。このような関係を日のあたるところに置いておいては、健全な社会というものは成り立っていかない。また世間がそれを許しても、「そしてふたりはいつまでも幸せに暮らしました」とはならないだろう。このような関係は、日のあたらないところでひっそりと存在するしか、そして究極的には死に向かうしかない。それがこの映画では、彼らが命を狙われ、死に向かって逃避行するしかない、合理的な設定が用意されている。それによって、サスペンスが映画を盛り上げると同時に、異常な関係に戸惑う観客もふたりに感情移入して観ることができるようになっている。よく工夫されていると思う反面、ちょっとずるいと思うし、物足りなくも思う。

この映画の見どころを三つ挙げると、シャーロット・ランプリング、音楽、ウィーン。シャーロット・ランプリングは、20代後半で回想シーンの10代の少女をほとんど無理なく演じているのがすごい。現在のシーンで、次第に当時のおもかげをのぞかせるあたりも。有名な、“Wenn ich mir was wünschen dürfte(望みは何と訊かれたら)”を歌うところはやはり何度観ても圧巻だが、ちょっと態度が貫禄ありすぎで、歌が成熟しすぎの気もする。

音楽は、上述の“Wenn ich mir was wünschen dürfte”という曲がすごくいいし、オリジナル音楽も、劇中で流れるクラシックもいい。

回想シーン以外、舞台はウィーンで、夜のシーンが多く、陰鬱で退廃的な雰囲気がウィーンのイメージにぴったりである(実際に見たウィーンは、特に陰鬱でも退廃的でもなかったが)。やはり実際に訪れたあとで観ると、ダーク・ボガードが王宮の近くを歩いているオープニングから心を奪われる。最も印象的なロケ地は、ダーク・ボガードの住むカール・マルクス・ホーフで、ここには行ったので感慨もひとしお。劇中、ダーク・ボガードが「ドブネズミのような生活」と言っていたが、カール・マルクス・ホーフに住めるのならドブネズミでもいい。ほかにもいくつか訪れたところが出てくるが、ロケ地がわかっていても行けなかったところ、探せばわかりそうなのに探せなかったところも多くて心残りである。