引き続きシアター・イメージフォーラムで、ミケランジェロ・フランマルティーノ監督の『四つのいのち』(公式)を観る。
去年の東京国際映画祭で観ようと思ったけれど、配給が決まっているので観なかった映画。だから観ることは前から決まっていたのだけれど、フランス映画社バウシリーズ的おばさんナレーションが、四つのいのちのつながりを過度に強調した予告篇や、「地球が丸いのは、ぜんぶ繋がっているから。」というキャッチコピーや、「オーガニックな生命」だの「オーガニックムービー」だのといったワケのわからない謳い文句に、なにやら胡散臭いものを感じないでもなかったが、わかりやすい筋書きや声高なメッセージを排したゆるゆるな映画で安心した。この映画が提示してくれるのは、素朴な暮らしがすばらしいとか、いのちはみんなつながっているとかいった単純なメッセージより、もっとずっと豊かなものだ。
南イタリア・カラブリア地方の村を舞台に、死んでいく牧夫のおじいさん、新たに生まれる仔山羊、切り倒される樅の大木と、次々に主人公を変えながら、生命の営みの豊かさや厳しさを映し出す。タイトルの「四つのいのち」とは、おじいさん(人間)、仔山羊(動物)、大木(植物)、木から作られる炭(鉱物)らしいが、ちょっと違和感を感じた。おじいさん→山羊→木の間には直接的な関連はないが、木→炭には直接の連鎖がある。映画内での描写も木+炭ワンセットで一エピソードであり、『三つのいのち』のほうがしっくりくる。
フィックスの長回しで、同じ場所が何度も映し出される映像もわたし好み。特に好きなのは、山羊が囲われている場所の横に、小さな通り(村のメインストリート?)がある風景。その通りをいろんな人が通っていく。山羊も通っていく。イタリアにもカラブリア地方にも行ったことはないけれど、山並みを望む風景や頭文字D的なぐるぐる道路は、ちょっと金瓜石みたいだと思ったりして、勝手な親近感をおぼえたりもした。
台詞も音楽もないが、自然の音、生活の音、動物の鳴き声などが絶え間なく聞こえる。画面におじいさんが映っているかどうかにかかわらず、ずっとおじいさんの発する咳みたいな音が聞こえていて、おじいさんが死ぬと同時にそれが聞こえなくなったのが印象的だった。生きているということが、声や音でも表現されている。
三つのパートの中で特に印象深いのは山羊さんパート。生まれたばかりの仔山羊が立てるようになるまでのショットなどにはそんなに感動しなかったけれど(でも仔山羊かわいかった)、囲いが壊れて山羊さんたちが町に繰り出すシーンは楽しかった。家の中に入り込み、我が物顔で君臨する山羊さん大写しのショットは、まるでピロスマニの絵のようだ。やっぱ山羊だよね。というわけで、この監督に『女医の愛欲日記』[C1973-S]をリメイクしてほしいような、ほしくないような。