新宿のパークタワーホールで、王兵(ワン・ビン)監督の『名前のない男』を観る。イメージフォーラム・フェスティバル2011(公式)の、ニューフィルム・インターナショナル(海外招待部門)の一本。今日はなぜかイメージフォーラムの日。
『名前のない男』は、王兵が『溝』[C2010-33]の前に撮ったもの。廃墟となった村に一人で住む「名前のない男」を追ったドキュメンタリーである。台詞もなく(独り言みたいなのはちょっとあるけれど字幕なし)、音楽もなく、季節はめぐる。ある意味では『四つのいのち』[C2010-55]にかなり似ている。「オーガニックムービー」というなら、こっちのほうがずっとオーガニック。でもある意味ではまるで似ていない。
カメラは、この男が移動したり、畑を耕したり、う○こを拾ったり、食事を作ったり、ごはんを食べたりするのをただ黙々と映しだす。その絶妙な距離感。遠いところから眺めているのでもない、一緒に体験するのでもない、おそらく「たちあった」ということばがいちばん近いと思われる圧倒的な96分。引き込まれていたというわけではないのに、終わったときに「わたしは今まで、あの場所にいたな」と感じた。観たあとで思わず「帰り道でう○こを見かけたら拾ってしまいそうだ」とつぶやいたのだけれど、自分が拾うのではなく、傍らの人に「ほら、う○こだよ。拾わなきゃ」と語りかけてしまう、というのが正しいと思う。
男はほとんどいつも何かをしているのだけれど、ごはんを食べ終わって何もしていないときなどに、カメラあるいは撮っている人をちょっと意識した笑顔を見せる。その表情がいい。そこにカメラがあるという感じがしないので、その笑顔は直接我々に向けられているように感じられる。
廃墟の村の茶色っぽい風景もなかなか魅惑的で、『溝』の風景と似ているのでだいたい同じようなところだろうと思う。ただ大砂塵などはなく、もう少し穏やかなところに感じられた。
彼は何者か、なぜここにいるのか、なぜこんなことをしているのか。インタビューもナレーションも一切ない。わたしは、労改でこの場所に連れてこられて、釈放後(非合法に?)そのまま住みついた人ではないかと推測。そんなことがあり得るのかどうかもわからないけれど。それとも労改とは関係なく、たとえば王兵が『溝』のロケ地を探していて、たまたま見つけた人だったりするのだろうか。
ところで、男が細い枝をさらに細かく折っているシーンがあり、「これがテキサス・レンジャーの焚火か」と思った。