実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『漢奸裁判 - 対日協力者を襲った運命』(劉傑)

『漢奸裁判 - 対日協力者を襲った運命』読了。

漢奸裁判―対日協力者を襲った運命 (中公新書)

漢奸裁判―対日協力者を襲った運命 (中公新書)

汪兆銘南京政府関係者に対する漢奸裁判について描いた本。南京政府の成立から終戦までの記述に三分の二が割かれ、漢奸裁判そのものの記述は残りの三分の一。陳公博と周仏海が主に取り上げられている。

汪兆銘和平工作に途中まで関わった松本重治の「上海時代(下)」(ISBN:4121003918)のほとんど最後に、次のような記述がある。

そのころ、汪兆銘が十八日に重慶を脱出したニューズを知ったが、それに呼応したと想像できる二十三日の近衛総理の声明に、「撤兵」の二字がないことを発見し、愕然として、和平運動の将来に暗影を感じた。(p. 315)

ここでどうして日本の撤兵が実現しなかったのかというのが気になって、この一節はずっと頭に残っていた。だから、このあたりに関して一度ちゃんと勉強しなければとずっと思っていたのだが、最近ふとしたきっかけでこの本を読んだ。

漢奸裁判とは何だったのか、ということについては、「おわりに」の次のパラグラフが簡潔に要約している。

 この裁判は日中戦争を勝ち抜いた蔣介石が日本の協力者たる敗者汪兆銘を裁いたものである。そして、蔣介石はこの裁判を通して、抗日英雄の地位を確立しようとした。そのため、裁判で、「天朝」に不利なことが意図的に隠されたことは繰り返し述べてきた通りである。(p. 265)

汪兆銘に対しては、日本の和平工作が謀略だったという点で、汪兆銘を再評価することはできないが、「抗日か売国か」の二者択一ではなく、別の可能性がなかったかについても研究されなければならない、というのがおおまかな著者の立場である。

特に後半に関して、私もそう思う。私は、戦争をしないこと、少しでも早く戦争を終結させることが何より重要だと思っている。そもそも、「抵抗か売国か」だとか「南か北か」だとか、二者択一を迫られるような世界はロクなものじゃない。愛国心だのナショナリズムだのを煽ったり、「(外国に対する)毅然とした態度」といった言葉がしばしば聞かれる今の日本は、間違いなくそういうロクでもないところへ向かっている。また、中国文化には伝統的に、「主和」に対する厳しい見方が内在しているそうだが、そういった考えはこれからの世界にはそぐわないし、変わっていってほしいと思う。

そのためにも、日中間でどのような和平工作があったのか、それに関わった様々な人々のそれぞれの思惑はどうであったのか、そして漢奸裁判によって隠されたものは何だったのか、そういったことが日本でも中国でも研究され、明らかにされていくべきだと思う。