実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『悪太郎伝 悪い星の下でも』(鈴木清順)[C1965-43]

シネマヴェーラ渋谷の特集「鈴木清順 再起動!」(公式)で『悪太郎伝 悪い星の下でも』を観る。

悪太郎』(id:xiaogang:20111126#p4)の続篇というわけではなく、別の悪太郎・重吉を同じ山内賢が演じる。今度の舞台は昭和初期の河内で、そのことが、前作と本作の違いおよび良し悪しのすべてを物語っていると思う。前作では神戸育ちのお坊ちゃんで文学青年だった山内賢は、本作では貧しい家庭の勤労青年である。前作では暴力がきらいで弁舌さわやかで口で上級生をやり込めていたが、本作では口よりも力がものを言い、正当な理由を求めるものの、上級生の制裁そのものを認めないわけではない。わたしはもちろん前作のほうが好きだし、山内賢の雰囲気にも前作のほうが合っている。しかしながら、昭和初期という時代は前作の悪太郎のような存在をもはや認めないのだろう。

本作では、八尾中学の上級生をやり込めたり、父親のためにヤクザに殴り込んで留置場に入れられたりといったエピソードも描かれてはいるが、恋愛にかなり比重が置かれている。清純派の鈴子(和泉雅子)と肉体派の種子(野川由美子)のあいだで揺れ動き、種子に誘惑されているあいだに鈴子はお嫁に行ってしまうのだが、それほど切なさは感じられない。種子が自分から誘惑してくれたうえに毎回旅館代も払ってくれて、重吉としてはこんなにいいことはないという感じだし、だいいち野川由美子のほうがかわいい。

それよりも切ないのは、重吉が第三高等学校に強くあこがれながらも結局入れないというところである。八尾中学の学生の三高へのあこがれは冒頭から描かれ、「紅萌ゆる丘の花♪」という寮歌が繰り返し流される。重吉が三高の門前に立つシーンもあるが、卒業する上級生が「三高でまた会おう」と言うところで、「ああ、これは重吉が三高に入れない映画なんだな」とわかる。そのとおりになって、重吉が中学を自主退学して仕事を探しにいくラストで寮歌が流れると、鈴子との恋の終わりや、このあと重吉を待ち受けている暗い時代の予感も重なって、言いようもなく切ない。