実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『再会の食卓(團圓)』(王全安)[C2009-37]

TOHOシネマズシャンテで王全安(ワン・チュエンアン)監督の『再会の食卓』(公式)を観る。監督の前作、『トゥヤーの結婚』は興味がわかなくて観ていない。

原題は“團圓”。やっぱり台湾には関係ありますのやけど、台北市立動物園のパンダではござりまへん。中台間の離散家族のお話どすの。台湾に渡った元国民党兵士が、上海で別の家庭を築いている前妻を訪ねる、という話。老兵の話は台湾側から描かれたものしか知らないので、中国側から描いた点に興味をもった。

ところが、時代背景がなんだかヘンだ。最初に、退役軍人の帰郷が1987年から始まったというクレジットが出るので、その頃の話だと思って観ていた(はっきり記憶していないが、最初の訪問団であるとの説明や、40数年ぶりという台詞もあったらしい)。もの珍しそうな近所の人々の様子などもそれっぽいが、それにしては人物や雰囲気が垢抜けているなあと思って観ていたら、返郷団がチャーターしたという観光バスで、浦東の高層ビルやリニアモーターカーを延々と見せる。「台北101より高い」といった台詞もある。詳細な台詞は忘れたが、ここのガイドさんの説明でたぶん年代が特定できると思うが、これだとほぼ現在の設定。マンションへの移住とか、携帯電話とか、そう考えると納得できる部分は多いけれど、最初の説明とは明らかに合わない。連続ドラマじゃあるまいし。全体に、中台間に発展や経済の格差がなくなった時代を背景にしているように思われるので、現在の話にしたほうがしっくりくるのだが。

ストーリーは、前夫・燕生が前妻・玉娥を台湾へ連れて行こうとし、玉娥もそれを望むものの、いろいろあって結局燕生はひとり台湾へ帰るという、「ま、そうなるだろうな」という落としどころ。しかしわたしとしては、最後いっしょに台湾へ行ってほしかった。最初、妻の台湾行きを認めた現夫・善民の心意気は買うが、酔った勢いで本音を晒した挙句、病気で倒れるというのは、はっきり言って最低だ。病気は不可抗力だけど、最高にずるい引き留め手段。わたしだったら、全く逆のストーリーにする。最初は善民も子供たちも反対し、玉娥も行きたいけれど躊躇する。でも最後に善民が男になって、玉娥の背中を押してあげる。もちろん、意地を通せずに弱音を吐くほうがリアルだし、いっしょに台湾へ行くのはリアリティのないおとぎ話かもしれない。でもわたしはそっちを観たいなと思う。

残るのならば、いい意味での善民と過ごした年月の重みみたいなものをもう少し感じさせてほしかった。そうでないと、彼が払った犠牲を償うために玉娥が幸福を諦めるみたいで、それはちょっとあんまりだと思う。でも現実問題としては、気候風俗の異なる地で、一年しかいっしょに暮らしていない、長いあいだ異なる生活をしてきた人といまさら暮らしてもきっと苦労する。それで愛が幻滅に変わるよりは、あり得たかもしれない台湾でのしあわせな生活を想像しながら暮らすほうがきっとしあわせだ。

再会するまでの年月については、身重でひとり取り残された国民党兵士の妻が新中国で生きていく苦労、その女性とくっついたために出世を諦めた新しい夫の苦労、妹たちより出来の悪い前夫の息子を尊重してきた家族の不満、それが重荷だった息子…と、中国側の家族の描写は詳細。いっぽう、やはり台湾社会で下層に位置するであろう燕生の人生については詳しくは語られない。つり合いのとれた年齢の本省人女性と結婚し、子供も順調に育って、お金持ちではないもののそこそこの暮らしをしているみたいで、老兵としてはあまり典型的ではない気がする。どんな暮らしをしていてどんな苦労があったのかわからないので、玉娥を台湾へ連れて帰りたいと言われてもいまひとつリアリティがない。現在の妻が亡くなったから今度は昔の妻、みたいなムシのいい話にもみえる。

上海の家族が、台湾から帰郷した燕生を都合よく上海人扱いしたり台湾人扱いしたりするところは興味深かった。本人が普通話を話しているのに、平然と上海語を使い続けるところや、久しぶりに帰ってきたら行きたいところもあるだろうに、ふつうの観光客みたいに自分たちの見せたいところへ連れて行こうとするところなど。返郷団が観光バスで見せられるところにしても、彼らが上海にゆかりの人々ならば、昔なじみのところへ行きたいだろうと思う。高層ビルなんか見せられてもうれしくないよね。台湾より発展していると嬉々として説明するガイドさんがしつこく写されて、苦笑するしかない。

洗濯物がたなびく里弄が描かれていたのがうれしかったが、さらにその洗濯物を干すところ、取り込むところなどを何気なく見せていたのがツボだった。