実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『彼女が消えた浜辺(Darbareye Elly)』(Asghar Farhadi)[C2009-33]

遅めに出京して有楽町へ。今週三度めのMeal MUJIで昼ごはんを食べて、丸井の本館からの連絡通路を探しまくってヒューマントラストシネマ有楽町に飛び込んだら、11時50分からだと思っていた映画は12時50分からになっていた。ヤケになって下のバールでストロベリータルトを食べてからふたたび劇場へ。アスガー・ファルハディ監督のイラン映画、『彼女が消えた浜辺』(公式)を観る。

映画は、十和田湖にヴァカンスに行ったらケータイが圏外で悶絶した話。いや、それは先週末のわたしの話だった。ほんとうは、三つの家族と初対面の独身男女がカスピ海にヴァカンスに行ったら、独身女性エリが消えてしまう話。しかし、浜辺の別荘が圏外という状況は、先週末の十和田湖を激しく彷彿させる。

エリが消えてしまってから、些細な嘘や善意の隠しごとが問題をどんどん複雑にしていき、日頃の不満やインテリらしからぬ本音が噴出して、夫婦間、友人間の関係がギスギスしていく緊迫した心理劇がみごと。婚約している女性がそれを隠してオトコを紹介してもらうこと(それ自体はどんな社会でも多かれ少なかれ非難されるだろうが)に対する非難の大きさ、心ならずもそれに加担してしまったことへの苦悩、また女性から婚約を解消することが難しいことなど、イラン社会、イスラム社会に固有の問題を散りばめつつ、トラブルに直面したときの醜い言動という普遍的な人間のあり様が、非常にリアルに描かれている。

最初に初対面のエリにだれもが好感をもつのは、彼女が美人であることとぜったいに無関係ではないが、彼女が消えてしまうと「もともと黙って帰ってしまうような女だったんだよ」とか言いたい放題。好きな女性が消えたうえに、婚約者までいることがわかったアーマドはいちばん気の毒だが、みな自分を守ることや自分の不安や良心の呵責を忘れることに一生懸命で、彼のことを思いやってあげる人はだれもいない。エリで懲りたはずが、また簡単に婚約者に同情する女性の俗っぽさ。後味のいい映画ではないが、「あるあるある」と叫びたい場面満載で楽しめる。

ほかに印象的だったのは、エリが子供たちと凧上げに興じるシーン。楽しそうに凧を上げて走るエリをしつこいほどに写しているが、屈託のないその表情は、夢中になって一瞬心配ごとを忘れたとみるべきか、何かを決意してふっ切れたとみるべきなのか。

タイムテーブルでは次の予定との間が10分あるはずだったが、エンドロールのときに時間を見たら5分前だったので慌ててダッシュ