『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』読了。
- 作者: 仲里効
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 2007/04/01
- メディア: 単行本
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これが私の、沖縄返還の日の記憶である。本当にすべてがその日の出来事だったのかというと、少し怪しいかもしれない。私はつい最近まで「修学旅行から帰ったら朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺されていた」と思い込んでいたが、どうみても日付が全然合わないのだ。とにかく、「沖縄返還」と聞いて想起されるのは、沖縄とは何の関係もないこの記憶である。当時、沖縄返還についてかなり報道されていたはずだが、その内容は全く記憶にないし、その後も何も知らないまま育ってしまった。なにしろ、『ウンタマギルー』[C1989-08]を観て「へえ〜、独立運動なんてあったんだ」と思い、『網走番外地 南国の対決』[C1966-28](asin:B0000AOD5R)を観て「へえ〜、パスポートが必要だったんだ」と思ったほどの、どうしようもない脳天気さ加減である(さすがに今思うと自分でも呆れるのだが)。
結局、沖縄へはまだ一度も行ったことがなく、今も沖縄についての知識はほとんどない。しかし沖縄に対する興味はそれなりにある。『無言の丘』[C1992-79]にも描かれていた差別の問題、単一民族とか単一言語とかいった神話を突き崩す場所であること、台湾に近くて風土や文化が似ていること。近頃は、ニュースなどを見ると、沖縄の抱える矛盾とか、本土がいかに多くのものを沖縄に押しつけて知らん顔をしているかといったことを感じないわけにはいかない。それに比べてあまりにも脳天気な沖縄ブームには、ずっと違和感を感じている。去年のフィルメックスでは『激動の昭和史 沖縄決戦』(id:xiaogang:20061125#p2)[C1971-23](asin:B000P7V7XC)を観て、私の沖縄に対する関心は深まった。
そんなところに出たのがこの本。沖縄返還前後に作られた12本の映画を通して、「映画は沖縄をどのように表象したのか」を論じたもの。現在の私の知識ではかなりお勉強モードであり、復帰運動やその問題点、「日本復帰」がもたらした様々な負の側面について、たいへん勉強になった。
特に印象に残ったのは、第3章の「言語が法廷に立つ時」と、第4章の「死に至る共同体」。植民地での裁判とそこで使われる言語という問題は、植民地台湾での台湾人の裁判をめぐる話をどこかで読んだと思うのだが、探しても見つからない。英領香港では、1974年に広東語が公用語に加えられたが、そこには裁判の言語の問題が関係していたというのも読んだ気がするのだが、これも見つからなかった(ダメじゃん)。集団自決については、被害者であると同時に加害者であるとか、命令が内面化されているとか、簡単にはどうこう言えないほど深い話だ。閉鎖的な共同体の中で、集団自決の生き残りが誰も何も語らないというのは、なんとなく『スウィートヒアアフター』[C1997-30](asin:B0001M6GZ0)を連想させた。
ところで肝心の12本の映画だが、観ているのが『博徒外人部隊』[C1971-21]だけなので、ほとんどコメントはできない。読んで、ぜひ観たいと思ったのは『それは島 - 集団自決の一つの考察』(間宮則夫)、『沖縄やくざ戦争』(中島貞夫)、『沖縄列島』(東陽一)。東映チャンネルで『沖縄やくざ戦争』をやっていないかなと思ったら代わりに『沖縄10年戦争』(松尾昭典)をやっていたので録画した(まだ観ていないが、似たようなキャストだ)。スカパー本の7月号には『沖縄やくざ戦争』が載っていて、小躍りしたのにWOWOWだった(契約していない)。私としては『激動の昭和史 沖縄決戦』への言及を期待していたのだが、取り上げられていなかった。
ひとつ気になったのは、二箇所ほどあった「いちおうに」という表現。私の知るかぎり、「いちおうに」という言葉はない。辞書を引いてみても、「いちおう」は副詞であって「に」はつかない。ネットを検索してみると、驚いたことにかなり多くの人がその言葉を使っているが、その人たちもこの本も、「一様に」と書けばすんなり意味が通る。