実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ジャスミンの花開く(茉莉花開)』(侯咏)[C2004-40]

朝からシネスイッチ銀座へ。1ヶ月ぶりの映画は、侯咏(ホウ・ヨン)監督の『ジャスミンの花開く』(公式)。一昨年の東京国際映画祭ではチケットが取れず観られなかったが、やっと観ることができた(公開遅すぎ)。

1930年代から1980年代の上海を舞台に、すぐに男とくっついては不幸になる三世代の娘たちを描いた映画。それぞれ茉、莉、花という名前の三世代の娘を、すべて章子怡(チャン・ツィイー)が演じている。初っ端から「そりゃないだろう」という超ぶりっ子姿で登場してげんなりさせる。3人の人生は、まるで章子怡の見せ場を作るために生きているかのような波乱万丈ぶりだが、波乱万丈なものを波乱万丈に見せられるのは好みではない。それに章子怡って、そんなに個性的な外見ではないわりに、何を演っても役柄より「章子怡」が表に出るので、あまりうまく演じ分けているように感じられない。それよりも、茉の母と茉の中年以降の二役を演じた陳冲(ジョアン・チェン)がすばらしかった。若いときのみの莉と花が、明らかに描き足りていないのに対して、章子怡から陳冲に引き継がれて老齢まで生きる茉のみが、映画の中でちゃんと生きていると感じられる。陳冲の存在感の確かさもあって、途中から「これは茉の物語だな」と思った。茉の死後に花の見せ場をたっぷり用意することで、なんとか3人の物語という形にはしているが、そこは不必要に長いエピローグのように思えた。

3人の娘が直面する問題は、時代や場所に関係なく起こり得る普遍的なものではあるが、それぞれの状況設定はその時代背景とかなり密接に関連している。にもかかわらず時代の描写が弱い。それぞれ状況を理解させるだけの情報は提供しているけれども、時代の空気や気分が感覚として感じられないし、時代背景と個人の物語とが十分に絡み合っていない。上海が舞台で男運の悪いヒロインといえば、思い出すのは關錦鵬(スタンリー・クワン)監督の『長恨歌』(id:xiaogang:20051022#p1)である(『長恨歌』のほうが新しいけれども)。『長恨歌』の出来にも不満だが(もちろん、監督が關錦鵬であることによる期待の大きさを考慮したうえでである)、『ジャスミンの花開く』を観たら『長恨歌』がかなりすばらしい映画に思えてくる。時代の香りが画面から立ち上ってくるような、数々の印象的なショットが思い出されて、思わず評価をワンランク上げてしまった(『長恨歌』もぜひ公開してほしいものである)。

監督の侯咏はもともとキャメラマンだ。チラシなどでは『初恋のきた道』(asin:B000EHT9XS)や『至福のとき』(asin:B000B84NCC)が紹介されているが、私にとってはなんといっても『青い凧』(田壮壮)と『息子の告発』(嚴浩)のキャメラマンである。『ジャスミンの花開く』の撮影は別の人がやっていて、残念ながら『青い凧』や『息子の告発』のあの雰囲気はない。名キャメラマンと言われた人が監督になるケースはけっこう多く、それなりに活躍している人もいるが、監督業のほうがすばらしいと思える人は、残念ながら一人も思い浮かばない。劉偉強(アンドリュー・ラウ)然り。余力爲(ユー・リクワイ)然り。杜可風(クリストファー・ドイル)然り。そしてこの侯咏も。さて、顧長衛(グー・チャンウェイ)はどうだろうか(“孔雀”が早く観たい)。李屏賓(リー・ピンビン)さん、あなたは絶対に監督なんかにならないでね。ついでに陳冲も、監督をやったりハリウッド映画に出たりしないで、もっと中国映画に出てほしい。

最後に、この映画のチラシを作った人にひとこと言いたい。「1950年〈文革時代〉」って、そりゃあいったいなんのことです?勉強して出直してください。