実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『英国王のスピーチ(The King's Speech)』(Tom Hooper)[C2010-52]

T・ジョイ出雲で、トム・フーパー監督の『英国王のスピーチ』(公式)を観る。

観ようと思ったのはもちろんコリン・ファース様が主演だからで、映画そのものにはさして興味も期待ももっていない。聞こえてくる評判も、映画そのものよりコリン・ファースの演技に関するものが中心だったが、予想以上にコリン・ファースあっての映画という感じだった。吃音の内気な王様役ということで、今回はかっこよさはあまり望めないものと思っていたが、そんなことはぜんぜんなかった。超緊張しているときを除けば終始渋くてかっこいいし、なによりにじみでる気品みたいなものがすばらしい。演技がどうのというより、コリン・ファース様の魅力全開、出ずっぱりの彼の力で最後までぐいぐい引っぱる映画。だから、作品賞はまだしも監督賞はないんじゃないかと思ったが、まあアカデミー賞なんてどうでもいい。

ストーリーはほぼ予想どおりの展開だが、少し思ったのとは違っていた。まず、ジョージ6世(コリン・ファース)と言語聴覚士ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)の交流を描いた映画かと思っていたが、そうではなかった。王になる資質も能力もありながら吃音に悩むジョージ6世が、それを克服して本当の王になるまでを描いた、いわゆる成長映画。成長するというにはちょいと歳をとりすぎているけれども。

ライオネルのほうは、友蔵(まる子のおじいちゃん)にしか見えなかった。もっと若くて髪もあって、「友蔵心の俳句」をつぶやいたりはしていないけれども。ルックスが怪しすぎるのだけれど、イギリス人だったらふつうかなと思わないでもないが、設定はオーストラリア人なのでややこしい。

また、「思いがけのう王様になってしもうて」という話かと思っていたら、そうでもなかった。本人も父親のジョージ5世も兄の女性スキャンダルを予測していて、「いずれそういうことになるのではないか」という空気があり、「ああ、やっぱりそうなってしまった」という感じの話。そのあたりの、少しずつはめられていくような感じは悪くない。

ところで、この映画を観ると「国民統合の象徴としての王様」というものがよくわかる。他人が原稿を書いた、おそらく聞かなくてもわかるような内容のスピーチをうまく読むだけで、国民をまとめ、動かす存在。わたしはただでさえ国民として統合されたくはないし、まして戦争に向かって統合されるのはまっぴらごめんだが。