実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『わたしたちの宣戦布告(La Guerre est déclarée)』(Valérie Donzelli)[C2011-46]

Bunkamura ル・シネマで、ヴァレリー・ドンゼッリ監督の『わたしたちの宣戦布告』(公式)を観る。

  • 幼い息子アダムが脳腫瘍にかかったカップル、ロメオ(ジェレミー・エルカイム)とジュリエット(ヴァレリー・ドンゼッリ)の闘いを、乗り物での移動と身体運動と、フレンチポップスからクラシック、『インターナショナル』までの多様な音楽で、ミュージカル風にポップに描いた映画。
  • 子供が癌になるのと老親が癌になるのとでは衝撃はかなり異なるけれども、親を癌で看取ったばかりの者として、この映画は非常にリアルだった。何がリアルかというと、家族が重病でも自分たちは生きていて生活や感情があるというところ。時々息抜きしなければやってられないし、息抜きに遊んでいても罪悪感に苛まれて楽しめないときもあれば、病気のことを一瞬忘れて楽しんでしまうときもあるし、不安でいっぱいのときにもジョークを言って大笑いしたりする。そんなところに「わかるわかる」と叫びたくなる。
  • いわゆる難病ものと一線を画す最大の特徴は、看病する親の側のみから描かれていることで、息子本人の闘病は全く描かれず、後半はほとんど登場すらしない。
  • 最終的に治るのに、脳に腫瘍があって手術が必要→ほとんど除去したけれども悪性→進行の速い特殊な癌と、どんどん状況が悪くなっていくところのみが描かれる。こういう情報を知らされるとたしかに打ちのめされるけれど、手術だ、転院だ、新しい治療だと言っているうちは気も張っているし、非日常でイベント的な盛り上がりがある。映画にも出てくるように、家族や友人も来てくれる。ここで描かれていないのは、その後の停滞の時期だ。そこはただ、短いナレーションでのみ語られる。すなわち、ふたりだけの世界に閉じこもり、喧嘩を繰り返し、結局パートナーを解消したと。化学療法などを繰り返す時期は、大きなイベントもなく、効果もわかりづらく、非日常が日常と化した単調な日々で、移動や身体運動では描けない。ふたりがパートナーを解消しても、親として、また人間としての深いつながりで結ばれていることは、ラストの幸福感あふれるシーンで示される。だから結果的にはハッピーエンドなのだけれど、それだけにいっそう、その短いナレーションが重くのしかかり、描かれなかった日々の重さを感じて打ちのめされる。海辺ではしゃぐ幸福そうな家族を見ながらなんともいえないほろ苦さが押し寄せるラストの体験が忘れがたい。