実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『グリーン・ホーネット(The Green Hornet)』(Michel Gondry)[C2010-45]

今回母親が入院してはじめてのお休みをもらった日曜日。T・ジョイ出雲でやっている、観てもいいと思う映画は、ミシェル・ゴンドリー監督の『グリーン・ホーネット』(公式)のみ。3D初体験にひとりで挑むのは不安だったけれど、大雪注意報だか警報だかが出ているなかを観に行く。

オリジナルのことは、李小龍(ブルース・リー)が出ているという以外、何も知らない。今回のリメイクのことは、周杰倫(ジェイ・チョウ)が出ているという以外、何も知らない。ミシェル・ゴンドリーの映画を観るのもはじめて。なんで観たのかといえば周杰倫が出ているからだが、周杰倫のファンというわけではなく、音楽も含め、彼には特に関心がない。じゃあなんで観たのかといえば、出雲で観られる、中華のかほり、あるいはアジアのかほりのするものはそう多くはないから。東京にいたら観なかったかもしれない。

周杰倫以外の出演者はぜんぜんわからなかった。キャメロン・ディアスも名前しか知らなかったので、「誰だこのおばさん、もっと若いの出せよ」と思いながら観ていた。それがキャメロン・ディアスだとわかったところで感想は変わらないが。

主人公がダメダメで、ヒーローなのに成長するところとか、外から見たら正義か悪かわからないところとか、動機の軽さとか、ヒーローものとしてはひねったところがあって、全体としては楽しんで観られる。ただ、やたらサクサクと物語が進んでいく印象があり、ここぞという見せ場や余韻がない感じがする。そう思うのは、もしかしたら3Dを観るのにパワーを取られすぎていたせいもあるかもしれない。

李小龍周杰倫がやった役は、どうせまた悪徳日本人か何かだろうと思っていたら(わたしなんにも知らなすぎ)、ぜんぜん違っていてびっくり。李小龍がメジャーになる前に、こんなキャラクターの東洋人が設定されていたというのはちょっと驚きである。

しかし、このカトー役が今回なぜ周杰倫なのか、というのがよくわからなかった。実はすごいけれど見た目では主人公(セス・ローゲン)を凌いではいけない、という意味では、周杰倫はけっこう合っている。ただ、ミュージシャンとしての彼のイメージを背景知識としてもっている中華圏とかアジアの人から見るとそうだけど、それ以外の人から見たら、ただのあまりぱっとしない感じの人に見えないだろうか。それにそもそも、もっとアクションがすごい人を起用したほうがいいんじゃないだろうか。最初のアクションシーンで「待ってました」というような。

ところでカトーというのは、単に日本人と中国人の区別がつかない(つける気のない)ハリウッド的キャラクターなのか、何らかの事情で日本風の名前をもつ中国人なのか、上海で生まれ育ったために中国語が母語である日本人なのか、さっぱりわからなかった。

おもしろかったのは、キャメロン・ディアスと会う約束をした周杰倫が、セス・ローゲンに友だちに会うと嘘をつき、友だちの名前を訊かれて「トニー」と答えるところ。鴈治郎は「山田くんじゃい」と答えるけれど、姓と名の違いは措くとして、アメリカでトニーという名前は山田くん的な位置づけなのだろうか。山田の場合、数からいえば実際のそうである確率も高い反面、あまりに代表的な名前であるため、すごくウソっぽく聞こえるというのがあるわけだが。

それから、周杰倫セス・ローゲンのことを「兄弟(ションディー)」と言っていたところ。しかしこのふたりにアヤしい雰囲気はない。そればかりか、セス・ローゲン周杰倫をパートナーとして紹介するシーンから明らかなように、最初からホモセクシャル的な読みを排除するように作られているのが気になる。コメディだからというのもあるだろうが、オリジナルではどうなっているのだろうか。白人と東洋人だから、みたいなものがもしかしてあるのかなと勘ぐってみたり。

あと気になったのは、台詞が“Hola”なのに、字幕が「コモエスタ」だったこと。そのほうがわかりやすいということなんだろうが、「オラ」好きのわたしとしては許しがたい。「オラ」をもっとメジャーにしよう。オッラー。