実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『詩(仮題)(시)』(李滄東)[C2010-41]

東京フィルメックス12本め、最後の作品は、有楽町朝日ホールで李滄東(イ・チャンドン)監督の『詩(仮題)』(FILMeX紹介ページ)。特別招待作品。

その前に閉会式。最優秀作品賞『ふゆの獣』は観ていないが、Twitterでの評判の感じからなんとなく予想していた。『独身男』の審査員特別賞も予想どおり。郝傑監督の受賞あいさつは感動的だったが、ちょっと長すぎ。『独身男』の脚本を親子三人で書いていたって、どういう家庭なんだ、いったい?

李滄東監督の舞台挨拶のあと、やっと『詩』の上映。韓国の市原悦子主演の『ヘルパーは見た!』であった、というのはウソ。スチルを見たときは市原悦子にしか見えなかったけれど(よく見りゃだいぶ違うよ)、映画では異様なまでにファンシーなファッションのせいもあって、ほとんど市原悦子には見えなかった。李滄東はもともと大ヒットするような映画を撮る人ではないとはないと思うが、タイトルが『詩』で主演がばあさんというのはさすがにリスキーだと思う。李滄東の新作なら絶対に観たいわたしだって、観る前はちょっと気が重かった。

主人公は、ヘルパーをしながら高校生の孫を育てているミジャ(尹静姫/ユン・ジョンヒ)。初期のアルツハイマーと診断され、詩を学ぶ講座に通いはじめる彼女は、初めて病院に行った日に、娘を亡くして激しく取り乱す母親に運命的に引き寄せられるが、やがて孫がその少女の自殺に深く関わっていると知る。映画は、ミジャが講座の最後に提出すべき詩を作ろうと苦しむ過程と、孫を含む少年グループが同級生の少女を輪姦して自殺に追いやった事件の事後処理の過程とが並行して描かれている。やがてそれらが奇跡的に結びつき、罪の償いや少女の鎮魂が融合した、ひとつの詩が生まれる。

観ているあいだは、何を考えているのかわからない、浮世離れしたばあさんにけっこうイラついていて、感情移入などとはほど遠い感じだった。しかし観終わったとき、舞台となった地方都市のどんよりしたような独特の空気に、ものすごく深くひたっていたということに気づいた。罪の意識がないだけでなく、大変なことをしてしまったという意識さえ希薄に見える少年たち。大変なことになったとは思うものの、息子が悪いことをしたとか、少女や母親にすまないとか、自分の教育が間違っていたとかの意識はなく、表沙汰にならなければ事件はなかったも同じと思っているらしい父親たち。そのような人間たちを生み出しそうな、一見平穏だが、静かに少しずつ腐敗していくような、不穏さやよどみをはらんだ空気。それらすべてを浄化するようなラストがすばらしい。

また、少年たちの起こした事件と、ミジャとカン会長(キム・ヒラ)とのあいだのできごととが似たような構造をもっている点が興味深かった。

上映後、李滄東監督をゲストにQ&Aが行われたが、夜遅いのでパスした。そのレポートはこちら(LINK)。映画の前に晩ごはんを食べておかなかったのは失敗だった。次回から、閉会式つきの上映を観るなら必ず晩ごはんを食べておくこと。しかし、閉会式つきのはなるべく観たくないとあらためて思った。