実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『溝(夾邊溝)』(王兵)[C2010-33]

東京フィルメックス5本めは、同じく有楽町朝日ホール王兵(ワン・ビン)監督の『溝』(FILMeX紹介ページ)。特別招待作品。王兵初の劇映画で、今回楽しみにしていたもののひとつ。

映画は、反右派闘争で労働改造所(労改)に送られた人々を描いたもの。謝辞の最初に名前があったし、おそらく『鳳鳴(フォンミン)―中国の記憶』[C2007-37]の和鳳鳴さんの旦那さんのいたところがモデルだと思う。ちょっと心配だったのは、スキャンダラスな面を強調したり、政治批判を前面に出したり、過剰にヒューマニズムに訴えるようなものだったりしないかということだったが、そんな心配は無用で、そこで起こったことを淡々と描いた映画だった。

描かれているのは労働改造自体ではなく、大飢饉にみまわれて食べ物の配給が激しく不足し、もはや労改として機能しなくなった日々である。食べられるものは何でも食べるし、服や貴金属など、食べ物と交換できるものをもつ者が生き延びられるという、右派の改造らしからぬきわめて資本主義的な世界が展開される。死体を食べるといったことも仄めかされているが、宿舎内で弱肉強食の地獄絵図が展開されるといったことはなく、グロテスクな描写は抑制されている。

労改の場所はゴビ砂漠のあたりで、出てくる風景はかなり限られている。半地下の細長い住居を縦に撮った奥行きのある構図に、日の光が注ぎ、砂や雪が舞っているところや、砂嵐の舞う砂漠をとらえたロングショットが印象的。

亡くなったばかりの若者の奥さんが、それとは知らずに上海から訪ねてくるところから、飢餓の日常をドキュメンタリータッチで描いた前半から一転して、映画はドラマ的な盛り上がりを見せる。宿舎で夫の死を知らされた奥さんが、激しく泣き叫びはじめたときは、正直いってうんざりした。しかし舞台が外の砂漠に移ると、この泣き叫ぶ芝居が効果を上げはじめる。布団や衣服を盗むために掘り起こされ、野ざらしにされた死体を覆うわずかな砂が、強風にどんどん吹き飛ばされていく。その風の音に対抗するように泣き叫ぶ奥さんの声は、しかし風のうなりのなかに空しく消えていかざるを得ない。自然の脅威を前にした個人の無力感が、国家権力に対する無力感とも重なり、壮絶な印象を残す。そして遺体を焼く火が風に揺らぐシーンの、類い稀なる美しさ。

TOHOシネマズ日劇で観た人たちが、大画面での砂嵐がすごい、観終わっても砂が舞い、風が鳴っているなどとつぶやいていたのだが、観ているあいだはそれほどには感じなかった。やはり日劇で観ないとダメなのかと悔しく思っていたが、スクリーンが暗くなった瞬間から、頭のなかで砂嵐が舞い、風がうなりはじめた。朝日ホールのスクリーンでも、ちゃんと大砂塵を体験できていたようだ。

砂漠であることが労働をも飢えをも過酷にしているのだが、一方で映画としてきわめて魅力的に見せているのもこの砂漠という環境である。労改には行きたくないが、この砂漠にはちょっと行って、本物の大砂塵を体験してみたい。

舞台となった夾邊溝は、たぶんこのへん。

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