実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ハイファ(Haïfa)』(Rashid Mashrawi)[C1996-52]

東京国際映画祭24本めは、シネマート六本木でラシード・マシャラーウィ監督の『ハイファ』(TIFF紹介ページ)。アジアの風・ディスカバー亜州電影【生誕100年記念〜KUROSAWA魂 in アジア中東】の一本。ラシード・マシャラーウィの映画は、2年前の東京国際映画祭での特集上映で観た『外出禁止令』[C1993-65]に次いで2本め。

舞台は、1993年9月のパレスチナガザ地区。「ヤーファ、ハイファ、アッカ」と叫びながら街を徘徊する、精神を病んでいるらしい男ハイファ(モハメド・バクリ)を狂言回しとして、オスロ合意直前の数日間の難民キャンプの日常が淡々と描かれている。

映画は、明るい陽射しがふりそそぎ、そうだと言われなければふつうの集落に見える難民キャンプの、のどかそうな様子で幕を開ける。兵士に追われる少年たちによってそののどかさが突然破られ、少年のひとりが逃げ込んだ元警官の一家が物語の主役となる。父親は病に倒れ、息子は刑務所だか留置場だかに入っているが釈放が決まっていて、母親はその息子を政治活動から離れさせるために嫁を探し、娘は隠れて近所の少年と会っている。そこには、あたりまえのことだが、どこにでもある日常や非日常と、難民キャンプならではの事情と、イスラム社会ならではの事情が入り混じっている。

ここでの人々の話題は、当然のことながらオスロ合意についてである。期待をあらわにする者もいれば、否定的、懐疑的な者もいるが、期待や希望が難民キャンプを明るくおおっている。映画は、オスロ合意を祝って難民たちが広場へ向かうところで終わる。アラファト議長の写真などを手にした人々の顔は喜びに包まれ、ふりそそぐ陽射しとも相まって、明るくまぶしい。

この映画は1996年に撮られている。イスラエルのラビン首相が暗殺され、リクードが選挙に勝って以降であると思われる。つまり、オスロ合意の実現が暗礁に乗り上げた時点で、希望があった時期を振り返って撮っているわけである。そしてそれを、さらに状況が悪くなっていると思われる2010年の時点でわたしたちは観ている。陽射しと希望のまぶしさは、涙を誘わずにいられない。

ところで、ハイファが叫ぶ「ヤーファ、ハイファ、アッカ」はいずれもイスラエルの都市で、彼はハイファ出身である(だからそう呼ばれている)。いずれもパレスチナ人が多く居住するところのようなので、これらの街を追われて難民キャンプに来ていること、あるいはこれらの街にまだ多くのパレスチナ人が住んでいることを象徴的に表しているのだと思う。

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