実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『隠れた瞳(La Mirada Invisible)』(Diego Lerman)[C2010-26]

東京国際映画祭23本めは、同じく六本木ヒルズでディエゴ・レルマン監督の『隠れた瞳』(TIFF紹介ページ)。コンペティション部門の一本。

1982年、軍事独裁政権末期のアルゼンチン、ブエノスアイレスの厳格なエリート高校が舞台。古い建物のたたずまいと校内のピリピリしたムードが共鳴しているようなはりつめた空気。監視し、監視されるという軍事政権と国民の関係の縮図としての、学校の中の教師と生徒の関係。それだけではなく、主事と教師のあいだにもそのような関係があってピラミッド構造になっており、新米教師のマリア=テレザ(フリエタ・シルベルベルク)は監視する側でもあり、監視される側でもあること。軍事政権に反対するデモが大きくなるのと呼応するように、エスカレートしていくマリア=テレザの感情や行動。全体的な枠組みは非常に興味深い。

しかしながら、マリア=テレザがあの男子生徒に目をつけるのが、どう考えても納得できない。あの役は、フェロモンムンムンのセクシーな男の子か、逆に線が細くて繊細そうな美少年かでなければいけないと思う。実際は、単にハンサムでないというだけでなく、思春期特有のこぎたなさみたいなものが漂っていて、ちょっと生理的に受けつけがたいタイプ。もしかしたら彼女にとってはそのあたりが萌えポイントだったのかもしれないけれど、それはちょっと通好みすぎる選択というか、観客がすっと納得しがたいものである。この男子生徒さえ納得できる配役ならばかなりの傑作になっていたと思うので、非常にもったいない。

また、男子トイレが舞台というのがこの映画のキモで、いかにも女教師という感じの厳格なスタイルの美人教師が、汚いトイレであんなことやこんなことをするのに萌える人も多いと思う。しかし個人的にはちょっとつらい。学校の男子トイレって、たぶん数あるトイレの中でも特に汚い部類だと思うし、よく見えなかったけれど個室は和式みたいな便器でいかにも汚そうだ。「男子生徒の八割はきっと手も洗わないのに、そんなところをベタベタ触るなんて」とか、「アルゼンチンのトイレはトイレットペーパーをゴミ箱に捨てるから(経験談)、強烈に臭いはず」とか、別のところに想像力が働きすぎて困る。

ちなみにマリア=テレザは、男子トイレフェチというか、以前から男子トイレに強い興味を抱いていたに違いない。初日から男子トイレ覗いてたし。そのような指向と、好きな男の子を覗き見したいという欲望と、生徒を監視しなければならないという学校内でのプレッシャーとが結びついたのが彼女の行動であり、そうさせてしまったのが軍事政権下の異様な空気ということなのかもしれない。

上映後、ディエゴ・レルマン監督と主演のフリエタ・シルベルベルクをゲストにQ&Aが行われたが、台風の影響が怖いのでパスして帰る。このQ&Aおよび記者会見のレポートはこちら(LINK)。記者会見の動画はこちら(LINK)。監督と女優のインタビューはこちら(LINK)、動画はこちら(LINK)。