実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ブロンド少女は過激に美しく(Singularidades de Uma Rapariga Loura)』(Manoel de Oliveira)[C2009-34]

おまけの短篇のあとは、マノエル・デ・オリヴェイラ監督の『ブロンド少女は過激に美しく』(公式)を観る。エサ・デ・ケイロスの短篇小説の映画化だけど、100歳のじいさんの願望と妄想を孫に託したとしか思えない映画。

つい『ブロンド少女は過激にいやらしく』と言ってしまう邦題と、原題の意味は「ブロンド少女の奇行」だという情報から、どんないやらしい奇行を見せてくれるのかと期待して観ていたら、たいしたことないというか、奇行ですらなくてがっかりした。

しかし、観終わると、観ているあいだも魅了された豊饒なイメージの群れにふたたび襲われて、すぐにまた観たくなる。窓辺でゆれる布(カーテン?)とか、その布ごしに見えるブロンド少女ルイザ(カタリナ・ヴァレンシュタイン)の気配とか、彼女の無邪気で清楚かつ妖艶で誘惑的な微笑みとか、時おり挿入されるリスボンの全景とか、最後に走り去る列車とか。

おもしろかったのは、19世紀の小説を現代を舞台に映画化しているのに、ほとんど原作のままで、現代に合わせた改変がなされていないと思われること。紹介者を探してパーティで知り合うとか、好きになったらまず結婚で保護者の許可が大事とか、主人公のマカリオ(リカルド・トレパ)や叔父さん、ルイザのおかあさんなどのファッションやたたずまいとか、片足を上げるキスシーンとか。「いったいいつの時代の話?」と思うところが何度かあったが、新聞はフルカラーで、通貨はユーロなのだ。

描きたいところは長々と描いているが、おそらく監督がどうでもいいと思うところは唐突にストーリーが展開していくのもおもしろい。背景も理由も何もない。全体が64分しかないので、時間的制約ではないことは明らか。

さて、帰宅したら、とんきでもらったうちわに、ダウンジャケットのフードから取り外したファーをつけて、うちのヴェランダに立ってみることにしよう(もちろんウソ)。