実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『瞳の奥の秘密(El Secreto de Sus Ojos)』[C2009-31]

朝から出京して日比谷へ。銀座シネパトスも捨てがたかったが、結局TOHOシネマズシャンテでファン・ホセ・カンパネラ監督の『瞳の奥の秘密』(公式)を観る。観た理由は、ブエノスアイレスが舞台のアルゼンチン映画だからであり、まさしくブエノスアイレスの街のような映画だった。ブエノスアイレスがほとんどヨーロッパに見えるように、ヨーロッパ的な端正な映画なので、ラテンアメリカ的な幻想的な雰囲気などを期待すると裏切られるだろう。

25年前に、担当していた殺人事件に巻き込まれて地方へ追われた元裁判所職員のベンハミン(リカルド・ダリン)が、小説に書くという名目でその事件を振り返り、失われた25年を取り戻そうとする話。きちんと伏線が張られていて、一見驚きのラストも、振り返ってみれば「ほらね、言ったとおりでしょ」というものだ。ペロン独裁政権下での犯人の釈放という、時代的スパイスの効かせ具合も悪くない。

印象的なのは、被害者の夫であるリカルド(パブロ・ラゴ)の生きざま。わたしは、テレビで厳罰を求める被害者家族に対して冷淡である。その第一の理由は、犯罪者の更正の可能性を信じたいという楽観主義的なものであり、第二の理由は、事件のことをよく知らないのに、一方の言い分だけを聞いて同情ベースで判断するのはすごく危険だと思うからだ。そして第三の理由は、被害者の会とかを作ってつるんでいるのと、マスコミ(特にテレビ)を利用しているのがイヤだから。で、このリカルドはといえば、誰ともつるまず、自分の信念に基づいて、自分の足で行動する。好感がもてるし、かっこいい。ちなみに、この映画の場合は、犯人の更正の可能性や、被害者側の問題は排除していいと思う。

彼の取った行動を、「背筋の凍るような」と書いている人がいたが、わたしはそうは思わない。日本のニュースで頻繁に流される、「娘は殺されたんです。犯人にも同じ目にあってほしい。極刑を望みます」というような、死刑制度をハムラビ法典と間違えているらしいコメントのほうが、よっぽど背筋が凍るというものだ。

ただし、ベンハミンがリカルドの行動を「妻への深い愛」と解釈していたのには違和感をもった。彼の行動は、殺されてしまった妻のためというよりも、妻を奪われてしまった自分のためではないだろうか。それがすなわち愛であり、両者は同じなのだと言われれば、全然異論はないのだけれど。

ベンハミンにとって、失われた25年を取り戻すということは、そのときに諦めた上司の女性、イレーネ(ソレダ・ビジャミル)を手に入れるということにほぼ等しいわけだが、このラブロマンスの部分がいまひとつだった。というのは、ベンハミンはおそらく事件当時35歳くらいだと思われるが、あまりにもおっさんすぎるからである。わたしの基準でいうと、彼は「男」ではない。つまり、ロマンスの主人公を演じることのできる範疇にない。何かもっと適切な形容を見つけたいと思うが、やはり「おっさんすぎる」としかいえない(でも感想などを読むとけっこう「渋い」とか書かれていて、概ね評判はいいみたいだ)。