実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『シルビアのいる街で(Dans la Ville de Sylvia)』(José Luis Guerin)[C2007-52]

渋谷へ移動して、シアター・イメージフォーラムホセ・ルイス・ゲリン監督の『シルビアのいる街で』(公式)を観る。

若山富三郎がカフェで藤純子を見かけたと思い、「お竜はん、お竜はん」と呼びながらつけ回したら、実はニセお竜だった。翌日若山富三郎は、お竜はんのことは忘れてニセお竜を探しはじめる、というお話。と書くと、「目標レベルをさげたのか?」と言われそうだが、映画に登場しないシルビアと、ニセシルビアとのあいだには、藤純子と沢淑子のような落差はたぶんありません。

舞台はストラスブール。路地の突き当たりを小津風に人が横切ったり、同じ路地をぐるぐる歩いたり、路面電車に乗ったり、気づいたら自分もシルビアを追って、大股で早足に歩き回っている85分。なかなか楽しい。

この映画の魅力はなんといっても音。音を聴いただけで、路地を歩いているのか、大通りを歩いているのかがわかる。リアルなようでいて、現実にはぜったいにそんなふうには聴こえない、そんな音。大きな音は実際より小さめに、小さな音は実際より大きめになっていて、大きな音にかき消されてしまうはずの音も全部、重層的に聴こえる。通りすがりの人の話し声が聴こえたり、シルビアを追う青年の動きが音によってわかる。

この映画のよくないところは、主役を演じる俳優。シルビアを演じるピラール・ロペス・デ・アジャラもいまひとつ好みではないけれど、青年を演じるグザヴィエ・ラフィットがちょっと苦手。年齢不詳でいまひとつ若さがないし、だいいち21世紀のひとに見えないし、画家っぽいといえば画家っぽいけれど、なんか理系っぽい。この男にストーキングされたらちょっと怖いと思う。

ところで、監督がスペインの人だから邦題が「シルビア」なのだろうが、舞台はフランスで、フランス語の映画なのだから、やはりここは「シルヴィア」とすべきだったのではないだろうか。

映画館を出ると、今度はシルビアになったつもりでがしがし、すたすた歩いて渋谷駅へ。向かったのは目黒のとんき。今月もひれかつを食べられた。ごちそうさま。