実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『日本暗殺秘録』(中島貞夫)[C1969-22]

阿佐ヶ谷で昼ごはんを食べ、日本橋へ行き、京橋まで歩き、BLESS COFFEEでお茶を飲んでからフィルムセンター(公式)へ。「アンコール特集 1995-2004年度の上映作品より」(公式)で、中島貞夫監督の『日本暗殺秘録』を再見するのが目的。2001年の上映時には満席だったが、その後シネマヴェーラ渋谷でも上映されていたはずだし、もうそれほどレア感はないのではと思い、1時間前に会場へ行く。これでも余裕をもって来たつもりだったし、この時間なら待ち椅子にも座れると思っていたが、ぜんぜん甘かった。椅子どころか、行列は階段の一番下に達していて、すでに定員の半分。当然上映時には満員御礼。やはりまだレアな映画のようだ。前に並んでいたおばあさんはドキュメンタリーだと思って来ていたようだが、楽しんでいただけたでしょうか?

前回観た感想は、映画の大部分を占める血盟団事件のパートがどうにもドロドロに重く長たらしいのが気になり、一度は観ておくべき珍品という程度のものだった。しかし世間的にはカルト的な人気があり、なかには傑作と褒めそやす人もあるようで、もう一度観て確認したくなったというのが今回再見した理由である。東映チャンネルで来月やることがわかったので、一度は「じゃあいいか」と思ったが、「今日は『日本暗殺秘録』を観ながらおやつを食べよう」という気になるかといえばなりそうにない。なのでやはり観にいくことにした。

再見してみて、「血盟団事件のパートがどうにもドロドロに重く長たらしい」という感想は変わらないが、予想していたよりずっとおもしろく、かなり楽しめた。長さが不揃いなオムニバスでは長いもののほうがいいことが多いが、この映画に関しては短いもののほうがいい。まずは冒頭の、「日本暗殺ダイジェスト」みたいな部分がかなり楽しめる。

具体的には、桜田門外の変、大久保暗殺事件、大隈暗殺事件、星亨暗殺事件、安田暗殺事件、ギロチン社事件と続く。スタイルも、暗殺過程のどこに焦点をあてるかも異なっていて、どれも俳優が実に楽しそうに演じているのがいい。いちばん好きなのは、やはり「吉田輝雄に座布団一枚」という感じの大隈暗殺事件のパート。暗殺自体は爆弾なので一瞬だし、しかも殺していないのだが、暗殺前後の吉田輝雄=来島恒喜の妖しいたたずまいや、思い入れたっぷりの自殺シーンに重点が置かれていて楽しい。

若山富三郎主演の桜田門外の変パートも楽しい。『昭和の劇 - 映画脚本家 笠原和夫[B1097]によれば、笠原和夫は「首は重くてたいへん」というのが描きたかったらしいが、できあがった映画にはそんなものは描かれておらず、井伊直弼の首は自殺する若山富三郎=有村次左衛門の足下にいかにも軽そうに転がっているのがおかしい。高橋長英古田大次郎が爽やかに「お金がほしいなあ」とつぶやくギロチン社事件のパートもいい。このエピソードでは、「日本でいちばんエライヒト」というのが大正天皇ではなく摂政宮なのにも注目。さらに、重苦しい血盟団事件のあとは、魚料理と肉料理の間に出てくるシャーベットのごとく、高倉健主演の永田暗殺事件が用意されている。この健さん=相沢三郎はとってもかっこよく、千葉ちゃんに冒された脳ミソを見事にリフレッシュしてくれる。

問題は、超長い血盟団事件と、やや長い二・二六事件のパートである。血盟団事件では、まず主人公の小沼正を演じる千葉真一が、小学校を首席で卒業した肺病病みにはぜんぜん見えない。むしろ元気なだけが取り柄の単細胞に見える(つまり、当時の千葉ちゃんのイメージそのもの)。自分やまわりの人たちのひどい境遇から、「なんとかしなければ」と思うのはよくわかるが、思想らしい思想もなく、なんだかのらりくらりとしている。そのくせ女にだけは手が早いところだけが印象に残る。彼がどのように片岡千恵蔵井上日召に惹かれたのか、どのように革命や暗殺に憑かれていったのかがもう少し描かれているといいのだけれど。

片岡千恵蔵は、顔にはカリスマ的な凄みがあるが、そんなに超然としているわけでもなく、思想らしい思想を語るわけでもなく、同志が増えている様子もない。田宮二郎=藤井斉は、メインのふたりに加え、小池朝雄田中春男といった超暑苦しいメンバーの中で、一服の清涼剤的役割を果たしている。田宮二郎が爽やかだなどと思ったことはいまだかつてなかったが、この映画での田宮二郎は、爽やかさ、スマートさ、感じのよさを惜しげもなくふりまきまくる。しかし実際のところ、な〜んにもしないでまず血盟団から、そしてこの世から消える。「結局あの人はなんだったんだ?」という思いとともに、その軍服の白さと軽妙な存在感が印象に残る。なお、別れに際して田宮二郎と千葉ちゃんが熱く見つめあうシーンがあるが、田宮二郎は思い入れたっぷりなのに、相手が千葉ちゃんでは雰囲気が出ない。

二・二六事件のパートは、鶴田浩二が「いやだいやだのやだもん」になる映画。暗殺のその後を鶴田浩二磯部浅一を中心に描いていて、反乱軍が崩れていくところを描いているのはおもしろいが、おそらく抗議が来そうな過激な内容を省いているためなんだかぐだぐだな印象。当時30歳だった磯部浅一を40代半ばの鶴田浩二が演じていて、♪ひとりだけおじさん♪という感じなのもピリッとしない印象を強めている。しかし、15名の銃殺刑のシーンなどはスタイリッシュに撮られていて、血が飛び散ったり顔を覆う布がまくれ上がったりしてなかなか楽しめる。

「そして現代、暗殺を超える思想とは何か」というテロップで締めくくられるのは、やや無理やりまとめた感があるが、1969年という時点ではそれなりに挑発的。この映画では、暗殺にいたる動機は描かれても思想は描かれていないと思ったが、実は暗殺が思想だったのか。ふたたび貧困が蔓延しつつあるいまのほうが、さらに挑発的かもしれないが、暗殺では世の中は変わらないことも、変わらないばかりか逆効果になることも多々あることもみんな知っているので、あまり影響されないかもしれない。そうなると、「お金がほしいなあ」と爽やかにつぶやいて強盗をするのがいいように思われるが、襲った銀行員がかばんを放してくれないので、ナイフで脅そうとして気がついたら刺していたという冴えない強盗の顛末をリアルタイムで描き、結果「死刑」となるこのエピソードは、そのような思いつきを思いとどまらせるには十分かもしれない。