実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『オルエットの方へ(Du côté d'Orouët)』(Jacques Rozier)[C1971-25]

続いて「ジャック・ロジエのヴァカンス」二本めは『オルエットの方へ』。今度はカラー。ビーチボールが転んでもおかしい年頃の女の子、ジョエル(ダニエル・クロワジ)、カリーン(フランソワーズ・ゲガン)、キャロリーヌ(キャロリーヌ・カルティエ)がヴァカンスに行き、きゃーきゃー笑い転げている様子をほとんどドキュメンタリーのように撮った映画。日付つきで日記のように語られるところが洪尚秀(ホン・サンス)の『アバンチュールはパリで』[C2008-13]を連想させる。ムダに長い(褒めています)ところも似ている。

ヴァカンスといっても9月で、行き先は西海岸のサン=ジル=クロワ=ド=ヴィ(Saint-Gilles-Croix-de-Vie)。クレープ屋が開いているのが不思議なほどヴァカンス客はおらず、寒がっているシーンも多くていかにも寒そう。でも海辺の感じがなんだか鎌倉みたいなので、すごく親近感をもった。

この映画の女の子たちは、ロメール映画みたいに難しい理屈をこねたり自分の哲学を語ったりはしない。いつもしゃべっているように見えて、実は内容のある話はほとんどしておらず、きゃーきゃー笑い転げているだけ。彼女たちを最も笑わせるのは、タイトルになっている「オルエットの方」というフレーズである。口にするたびに笑い転げるのだが、その発音が何かおかしいと感じさせるのか、それとも何でもおかしいだけなのかは不明。『失われた時を求めて』の第1篇「スワン家のほうへ(Du côté de chez Swann)」、第3篇「ゲルマントの方(Le côté de Guermantes)」を連想させるタイトルだが、何か関係があるのか?

彼女たちの笑いには、多くの場合、ビーチボールを追いかけたり、ウナギから逃げ回ったり、木靴を履いて歩いたりといった身体運動が伴っている。ふつうならあり得ないような出来事が、ドリフのギャグのように必然的に生起して笑いを引き起こす。生きたウナギが入ったたらいはひっくり返されなければならないし、やっとつかまえたビーチボールはふたたび転がっていかなければならない。そしてこれらの騒動は、ほとんど実時間でえんえんと描かれる。

女の子たちは、ヴァカンス=オトコというふうにガツガツしてはいないが、もちろん関心がないわけではない。そんなところに二人の男が登場する。ひとりめは、ジョエルを追ってストーカー的にやってきた上司のジルベール(ベルナール・メネズ)。あまりぱっとしない彼は誰からもオトコ扱いしてもらえず、便利に使われる。ふたりめはヨットをもっているパトリックで、マチュー・カリエールみたいなちょいといい男。

男が絡んでくると、ヴァカンスはだんだんおもしろおかしいだけではなくなっていき、笑い転げるシーンは減って、気まずい雰囲気がリアルに描かれはじめる。印象的なのは、パトリックがカリーンの乗馬を褒めて、「軽いから馬も楽だ」とか言うところ。太めなのを気にしているジョエルはパトリックに気があるので、ここで思わずすごい顔をしてしまう。誰もそれに気づかないが、カメラはその彼女の顔をイジワルく写し続ける。ほんとうは彼女にそういう演技をさせてそれを撮っているに過ぎないのだけれど、彼女が思わず見せた顔をすかさずカメラが見つけて、遠慮もなく執拗に撮り続けているようにしか見えない。

クライマックスは、ジルベールが釣った魚を料理するシーン。キャロリーヌは釣りでクタクタで、パトリックと出かけたカリーンが帰らないためジョエルは機嫌が悪い。そしてふたりともおなかがぺこぺこだ。ここで手際よくおいしい料理を出せば雰囲気もよくなるはずなのに、ジルベールはおそろしく間が悪い男なので、料理に手間がかかるうえ、状況に応じてメニューを変更するといった臨機応変さも持ち合わせていない。必然的に悲劇に終わるしかない晩餐に向けて、彼はひたすら料理を続け、時計が鳴る音の回数だけが増えていく。予想どおり晩餐は悲惨で、気まずい雰囲気とジルベールの気の毒さがリアルすぎる。

これを契機に、ジルベールが捨て台詞めいた手紙を残して去ったあと、女の子たちがしんみりするシーンもいい。「彼のヴァカンスを台無しにしたのよ」というキャロリーヌの台詞が重く響く。ヴァカンスが台無しになるのは誰でもどこの国でも最悪の出来事だが、その重みはやはりフランスでは特別なんだと思う。しかし、長いヴァカンスがあって、「1ヵ月のヴァカンスのために11ヵ月がまんして働いている」と公言できる国は健全だ。日本の労働環境をマトモにするためにいちばん必要なのはヴァカンスだと、わたしは前々から思っているのだが。

あと、女の子たちがダイエットも忘れてケーキを食べまくるシーンがあって、すごくエクレアが食べたくなる映画である(と書きながら「鎌倉 エクレア」で検索しているわたし)。また、ヨットに乗っているシーンで、女の子のひとりがシューベルトの『水の上で歌う』を歌っていたと思う。

ところでこの映画の製作年は、チラシ等では1969-70年となっている。16mmからブローアップされていることと関連するのではないかと思うが、まずこのハイフンの意味するところが不明だ。このような尋常ではない表記をするからには説明がほしいものである(『アデュー・フィリピーヌ』も1960-62年となっている)。とりあえず1970年の映画として扱ったが、検索すると1973年となっているサイトが多い。カンヌに出したのが1973年のようなのだが、どうもよくわからなくてイライラする(製作年ごとにリストを作っているので、間違っているとあとで番号をふりなおすのがたいへんなのだ)。