実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『倫敦から来た男(A Londoni férfi)』(Tarr Béla, Hranitzky Ágnes)[C2007-48]

朝から出京。まず、渋谷のシアター・イメージフォーラムで、タル・ベーラ、フラニツキー・アーグネシュ監督の『倫敦から来た男』(公式)を観る。タル・ベーラの映画ははじめてだが、タイトル(「倫敦」が漢字のところが特にいい)とモノクロームの映像に惹かれて観る。原作はジョルジュ・シムノンだが、シムノンの小説は読んだことがない。

まず、予想どおりモノクロームの映像がいい。もともとモノクロは好きだが、ちょうど最近、『動くな、死ね、甦れ!』[C1989-43]メルヴィルの映画を観て、あらためてモノクロの美しさに心を動かされているところだった。『あなたなしでは生きていけない(不能没有你)』[C2009-05]もモノクロだったし、ひそかにモノクロブームなのだろうか。『倫敦から来た男』は、とりわけ冒頭の、夜の「霧の波止場」のシーンがいい。水面に反射するわずかな光のゆらめきと、そこに流れる濃厚な霧がたまらない。ロケ地的にもたいへん魅力的だが、残念ながらセットのようだ。

そして、長回し好きを魅了する映画。あらすじ的な意味を表す部分だけを取り出せばかなり短くなると思うので、全体のストーリーがちゃんとある分、苦手な人には堪えられないかもしれない。138分もあるので、最近「映画は2時間まで」症候群に冒されつつあるわたしは、「ほんのちょっとずつ縮めて120分に」と思わないでもないけれど、『ヴィザージュ(臉)』[C2009-19]よりは各シーンの長さに必然性を感じる。全体としては、それほど長さは感じなかった。

かなり多くの場面で、ほとんど同じ単調な音楽が流れていて、これがまたいい。おそらく、音楽だけを聴いたら単調すぎて退屈だと思うけれど、これに映像がつくと、相乗効果で独特の重苦しいような倦怠的なムードをかもしだしている。

舞台はフランスの港町で、現地の人の言語はフランス語だが、これは吹き替え。キャストは東欧の俳優が主で、東欧ムードが濃厚に漂い、おフランスな雰囲気が微塵もないのがすごい。それでも舞台をハンガリーに置き換えられないのは、ロンドンから船で比較的簡単に来られるという想定が必要なためであろう。場所と同様、時代もよくわからなくて、原作が書かれた75年前には見えないが、現代とも思えない。

主人公のマロワンを演じるミロスラヴ・クロボットはチェコの俳優らしいが、しがないおじさんの役なのに、超渋くてかっこいい。娘のアンリエット役のボーク・エリカは、色気のなさというか油がぬけている感じがカウリスマキっぽいので、ちょっと北欧的な雰囲気も漂う。ぜんぜん関係ないけれど、「北欧」ときいて、インテリアや音楽を連想するのとカウリスマキを連想するのとでは受ける印象が全く違いますね(パン屋を連想する人は…放っときましょう)。

初回の上映は特に混んではいなかったが、終わって出たら階段には長蛇の列。単純に映画の人気なのかと思ったが、どうやら市山さんのトークショーめあてだったらしい。市山さんすごい。