バンガロールに来ちゃったの

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『ワカラナイ』(小林政広)[C2009-26]

恵比寿ガーデンプレイスで適当に晩ごはんを食べて、渋谷へ移動。ヒューマントラストシネマ渋谷のレイトショーで、小林政広監督の『ワカラナイ』を観る。「レイトショーは観ない宣言」をしてからずいぶん経つが、これはいつのまにかレイトショーに変わっていて、知らずに前売りを買ってしまったからしかたがない。

頼る人のない母子家庭の高校生の少年が、母親の入院、死亡で貧困にあえいだあげくにとる行動を描いたもの。前作の『白夜』[C2009-06]はちょっと期待外れだったが、これは紛れもなく小林政広印の映画だった。主人公を取り巻く貧困、笑わない主人公と頑なな性格、主人公に時に寄り添い、時に突き放して追うカメラなど、いろんな点で『ロゼッタ[C1999-19]を連想させる。

母親が生きている前半は、少年(チラシには「亮」と書いてあるが、映画には出てこなかったと思う)の日常が描かれる。少年を演じる小林優斗は、かすかに怒りをたたえたような無表情な顔が、時には子供に、時には大人に見え、圧倒的な存在感がある。日常の多くは走っているシーンと食べているシーンが占めていて、大食い番組のような豪快な食べかたもいいが、フラフラと走っている姿がすばらしい。

やがて母親が亡くなると、どちらにしても犯罪になるというぎりぎりの状況での少年の選択を描き、そこで「じゃあ、僕はどっちにすればよかったんですか?」と絞り出すように言わせている。ここはやはり魂を揺さぶられる場面だが、一方で、ほんとうにぎりぎりの状況であるというリアリティが感じられなかったため、違和感もあった。病院は、未成年相手に金を払えと言ったり葬儀屋を差し向けたりしてもどうにもならないはずで、学校の先生や町内会長や民生委員や母親の職場の上司と連絡をとるのがふつうだと思う。そうすればまだどうにかなる道があるはずだ。舞台はかなり田舎であり、そこで未成年がひとりで対応しなければならないという状況は想像しにくいし、そうなるべき事情があるならば描いておくべきだと思われる。

少年がすべてを自分で抱えこみ、人に頼ろうとしないのは、もしかしたら誰も助けてくれないことをこれまでに知ってしまっているからかもしれない。しかしどちらかといえば、自分で自分のまわりに壁を作り、ひとりでもがいているように見える。そういう可愛げのない態度が、逆にまわりの人に対して彼を大人扱いさせてしまっているのかもしれないけれど。

しかしラストまで観たとき、この映画は、少年を取り巻く厳しい現実や絶望よりも、彼がひとりで生きることをやめるまでを描きたかったのかもしれないと思った。アントワーヌもワレルカも、早くオトナになってひとりで生きようとするけれど、亮はひとりで生きようともがいたあげく、頼るべき人に頼って生きることにしたのではないかと。彼はそうすべきだし、父親には彼を受けとめてあげてほしいし、また受けとめるべきだ。そういう期待や希望がこめられているのではないか。

冒頭とラストで主題歌の『Boy』がフルコーラス流れる以外、音楽はない。その代わり、食べる音をはじめとした生活音が誇張気味に聞こえていて印象的。ちなみに冒頭の主題歌は、画面に何も映っていない状態でフルコーラス流れる。暗いところで暗闇を見ているのは辛い。歌を聴くだけなら目を瞑りたいけれど寝てしまったら困るのでそれもできない。わたしを発狂寸前にさせる意図がワカラナイ。

終わったらダッシュで飛び出して帰ったが、寝たのは午前2時半。レイトショーは敵だ。