実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『千年の祈り(A Thousand Years of Good Prayers)』(王穎)[C2007-47]

急いで恵比寿に移動。恵比寿ガーデンシネマで、王穎(ウェイン・ワン)監督の『千年の祈り』を観る。ワシントン州スポケーンで暮らす娘を北京に住む父親が訪ねるという、王穎版『東京物語』というか「スポケーン物語」。父親(ヘンリー・オー)は実の娘の宜藍(兪飛鴻/フェイ・ユー)に、再婚を勧めるのではなく、離婚の理由を問いただす。宜藍は、50年前には杉村春子でさえ面と向かって言えなかった「いつまでいるつもり?」を平然と問う。そして熱海ならぬアメリカ周遊の旅にやろうとする。

娘の部屋で新聞を読み、公園へ出かけ、イラン人のマダムとおしゃべりし、豪華な夕食(家庭料理で5品なんて見たことない)を作り、気まずい雰囲気で娘と食べる。毎日同じような父親の日常が、動かないカメラで淡々と描かれ、そこに少しずつ変化が加わる。娘は夜も家を空けるようになり、マダムは老人ホームへ入ってしまう。やがて父と娘は衝突し、父親は今まで言えずにいた過去の出来事の真相を語り、ふたりはいちおう和解して、少し関係を修復する。面と向かっては話しにくい父親が、壁を挟んだ隣の部屋にいる娘に語るのがいい。

言語についても興味深く描かれている。中国語で会話しながら気持ちを表せない父と娘。中国語で感情を表す方法を学ばなかったという娘の言葉は、東洋的な考え方の影響、言論の自由のない国で言いたいことを言えずに育ったこと、父親が家族に秘密をもつような家庭で育ったことなど、さまざまな意味を含んでいる。一方、つたない英語で会話する父親とマダムは、すんなり本音を言ってしまえるところもあるが、やはり見せたくない面についてはなかなか言えず、こうあってほしい姿を誇張して話したりもする。

なかなかよくできたいい映画だと思うのだが、頭でそう思うほど、感覚や感情に訴えてこなかった。ずっとわだかまりをもって生きてきたわりに、解決が早いと感じたせいかもしれない。娘がロシア人の彼氏と再婚に踏み切れないのは、彼の娘と自分を重ねているせいだと思われるが、そのあたりの今後のことについて、もう少し踏み込んでほしかったからかもしれない。この父親が、娘の離婚の理由をしつこく聞こうとしたり(親であってもそんなことを知る権利はないと思う)、娘の部屋や行動を探るのがかなりウザいからかもしれない。娘が「安全な街」と語る、マンションもバスも公園もやたらこぎれいなスポケーンの風景に、あまり魅力が感じられないからかもしれない。

ところで、いくらロシア人とつきあっているからといって、ロシア民謡のCDにマトリョーシカというのはあまりにわかりやすすぎだと思う。せめてチェブラーシカにしてほしいものである。

最近多いような気がするが、これもパンダ映画。パンダのぬいぐるみ(タグがついたままのように見えたが…)とパンダ柄のマグカップが出てきた。